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08.元気になれば病気は直るhttp://www8.plala.or.jp/puresimon/


さ~て、お待ちかねの炎症の話の続編や。

この間は『炎症は組織修復機点』、
つまり、

『「腫れる」いうことは
傷を修理(なお)すからだの働きを
今(機)
行なっている
所(点)
のことである』

ていうことを書いた。

そんで「ブティックの改装工事」を例に出して説明しかけてた。

身体がせっかく一生懸命修理してくれてるのに
「工事の音がうるさい!」とか
「ほこりが飛ぶ!」とか
「見てくれが悪い!」とか
文句言うたら工事が進めへんやないか、
アホとちゃうか!と書いた。

この例えで 
「音」とか「ほこり」とかいうのんが
「痒み」とか「カサブタ」とか「浸出液」とか「膿」とかいうもんや。

「痛み」はこれとはちょっと違うから後回し。

工事があったら当然
働く職人の数や種類、使う材料の種類や数、ゴミとか瓦礫の数
なんかが
血液検査の『異常値』の正体なんや。

傷があって『異常値』がない
いうことは
『身体がサボってる』ていうことや。

ええか!

『炎症を止める(停める)薬』
ていうことは
『身体をサボらせる薬』

ていうことやねんで!

よぉ~に注意せんとアカン。

そらな、例えば
「今強盗がお店壊してる真っ最中や」
いうときは話は違う。
強盗、ド突きたおしてつかまえんとアカン。

自分でど突きたおされへん時は
警察に殴りたおしてもらわんとアカン。

自分でど突きたおすんが
『免疫力』、
警察いうのんが
『抗生物質(バイ菌殺し)』とか
『抗かび剤(カビ殺し)』とか
『抗寄生虫剤(虫殺し)』とか
いう種類の薬や。

この手の薬は強盗と職人、店員を見分けるから使こうてもええし、
使わんとしゃあないことが多い。

なんぼ身体が修理しとっても
強盗放っといたらなんぼでも壊しよるさかいな。

そやけどまず自分で店守れるんが当たり前のことなんや。

自分で守られへんほどたるんどったから
強盗に目ぇつけられたんやろ?
基本的には自業自得や。

言うとくけど『ガン』は強盗とちゃうで。
あれは「店員の裏切りによるお店乗っ取り」やからな。
店員に不満ためさせて
身を守るために裏切らんとしゃあないようにしてしもうた
「自らの日頃の不徳」を恨むんやで。

もう一回言うとく!
今いまに店壊してる強盗ていうのんが
ハッキリ『店員とか職人やない』いうのんがわかってる時と、
工事が大きうなりすぎてビル自体が壊れそうやいう緊急事態以外は、
『炎症』には基本的に薬使う必要はあらへん
(今は炎症以外の話とちゃうで)。

対症療法ていうのんは
『痛み止め』以外、<2008.6/30、文末に重要な訂正があります。>

「工事の音がうるさい!」とか
「ほこりが飛ぶ!」とか
「見てくれが悪い!」とか
文句言うことなんや。

こんなこと聞いとったら工事が長引くだけや。
身体は早う修理して新装開店したいんや、
これが自然型なんや。

そやから職人が仕事に専念できるように
労務条件を良うして、二十四時間突貫工事して、
多少の『嫌なこと』は我慢して
早う工事終らしたげた方が
自然型に則してるていうもんや。

ここでちょっと断っとかんとアカンのは、
前回と今回は『修理る』話であって
『直る』話やないゆうことや。

もちろん『治す』話とは次元が違う。

『直る』ていうのんは
「病気である必要がなくなること」、

『修理る』ていうのんは、
主の意志、自らの不徳によって傷ついてしもうたところを、
自律神経が監督して
自然治癒力を動員して
必要な形にもどす働き」
のことや。

『治す』いうのんは単に
「現象(症状)をなくす」
ことにすぎへん。

「他人に治してもらおう」とかいう思いは論外や、
自分の尻くらい自分で拭きぃや。

その反対の
「他人を治してあげよう」とかいう思いは外道や。
自己顕示欲以外の何もんでもないわ!

単なる現象に目ぇ奪われてしもうて
身体のじゃまして話ややこしゅうするだけや。

「助けてあげよう」はもっと悪い!
思い上がるんもええ加減にせぇや。
しょせん「治療者」と称する者ができることは
対症療法にすぎへん。

これは河井でもいっしょや。

それ以外には、
ただ現象を解説して
何でこの現象が起らんとあかんかったんか、
今身体は何をしようとしてるんかを
お伝えするくらいしかでけへん。

『治し』たらアカンのや。
現象を『治し』てしもうたら、
せっかくの身体がしてほしいことに
主が気づくチャンスを奪うことになってしまう
ことにみんな何で気ぃ付かへんのや。

そやからみんな
『再発』ていう「現象」
を起こしてしまうんやないか!

『再発』は身体からの督促なんやで。(次回は痛みや)


続く

2008.6/30 重大な訂正です。

「痛み」の正体に関しては次回に書くのですが、
「鎮痛剤」に関しての訂正です。

本文では「鎮痛剤は使っていい」と書いたのですが
平成10年からの知識では、
やっぱり「消炎鎮痛剤」も、
頓服(痛いときだけ服用)として使うくらいで
連用すると、大変な副作用があることがわかりました。

実際のところ、平成9年の時点では、
「消炎鎮痛剤」の本体である、
シクロオキシゲナーゼ阻害剤という役割が
河井にはよくわからなかったのです。

そもそもシクロオキシゲナーゼという酵素は
皆さんの知っているところでは「トランス脂肪酸」に
関係があります。

「トランス脂肪酸」とは、
マーガリンなどに使われている人工の脂肪酸で、
酸化しないように合成した「プラスティック」です。

炎症やアレルギーという「自然治癒」反応をひきおこすトリガーは
プロスタグランディンという「脂肪酸ホルモン」なのですが、
このホルモンは、細胞一匹いっぴきが壊れたとき、
細胞膜を構成する「脂肪酸」から
シクロオキシゲナーゼ酵素により瞬時に作られるのです。


脂肪酸には、
天然型のシス型脂肪酸と
人工型のトランス脂肪酸があります。

天然型のシス型脂肪酸には
不飽和脂肪酸(酸化することができる脂肪酸)と
飽和脂肪酸(酸化しない脂肪酸)の
二種類があり、
酸化できなければ、身体は使うことができません。

身体からしたら,酸化できない飽和脂肪酸はジャマ物です。

使える脂肪酸である不飽和脂肪酸には
オメガ3、オメガ6、オメガ9という種類があり、
それぞれから違う働きを持つプロスタグランディンができます。

人工物の「トランス脂肪酸」は、不良部品なので
細胞膜の構造を破壊して、細胞膜を脆くします。
また「トランス脂肪酸」からは、プロスタグランディンができません。

プロスタグランディンが働くと、
身体は、その部分を修復し始めます。
すると、その部分は「炎症」という現象がおこります。
炎症が起これば、炎症の原因が取り除かれます。

そこにシクロオキシゲナーゼ阻害剤があったら
細胞が壊れても「プロスタグランディン」が作れません。
炎症が起こらないので、いつまでたっても炎症の原因はなくならず
下手したら増え続けます。

ウイルスや細菌などが増え続けるので、
敗血症になったり、ウイルスが全身にまわって
死ぬこともあります。
インフルエンザのとき解熱剤を使うと脳炎になるのは
プロスタグランディンによる生体防衛ができなくなるからです。

また、生理のある女性が、頭痛などで消炎鎮痛剤を排卵期に使うと
卵巣から卵子が出れなくなるので、多嚢胞性卵巣症になる可能性があります。
排卵は、おできが破れて膿が出るのと同じ仕組みで、
プロスタグランディンをトリガーとする炎症反応です。

雑学として、
「アーナンダマイド」というプロスタグランディンの一種は
身体の中でできる「カンナビノール」、
つまりマリファナに似た痛み止めです。
高熱のときのハイな状態は、
どうやら炎症により「アーナンダマイド」が産生されたからのようです。






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07.元気になれば病気は直るhttp://www8.plala.or.jp/puresimon/


ここのところ話が精神的な面に偏ってしもうて
「シモンてもしかしたら新手の新興宗教とちゃうか?」
と思う人が出てきそうやから、
今回はちょっと身体よりの話にもどそ。

今回のテーマは『炎症』。
『炎症』いうたらみんな一回くらいは聞いたことあるやろ?
「胃『炎』」「肺『炎』」「気管支『炎』」
「慢性肝『炎』」「皮膚『炎』」etc.…
これて全部『炎症』なんや。

『炎症』、炎の燃え上がるがごとき症状、恐そな名前やなぁー。
シロウト脅かすにはもってこいや。

薬屋のお姉ちゃんから
「お客さん、風邪こじらせてますね。」
て言われても
「あぁ、しもた。こじらせてしもた!」
て思うだけやけど、

病院行って医者から
「こりゃ気管支炎だよ。気・管・支・炎!
血液検査も炎症反応がこんなにあがっとる!」
て言われたら
「病院オタク」やなかったらちょっとビビるやろ。

この辺の微妙ーな言いまわしが
うちの業界のセールス・トークなんやけどな。

これには裏があってな、
医者以外のもんが病気を『診断』したら
『医師法』に触れて『偽医者行為』になるんや。

『診断』いうたら『病名』をつけること。
『風邪』いうのんは『病名』やないから
薬局のねえちゃんが「あんたは風邪や。」て言うてもええんや。

そやけど『気管支炎』ていうんは
れっきとした『病名』やから
医師免許を持ってないもんが
「あなたは『気管支炎』です。」
て言うてしまうのんは、ホンマはアカンのや。

経験積んでちゃんとわかっとっても言うたらアカンのや。
医者なりたてのピイピイが、
わからん癖に『気管支炎です。』言うてもかまへんのや。

矛盾やなぁ。

ついでに『この病気は○○で治ります。』て言うんも、
医者以外は言うたらアカンのや。

『医師法』『薬事法』に触れるんや。

当然『シモンイモ』でもいっしょや。

電話相談とかで相談にのってくれはる人に
ツッコミ入れて困らせたらアカンで。

言いとうても言われへんねんから…。

話がそれた。
医者に
「えーと『炎症』て何ですか?」
いうて聞いたら、たいてい

「簡単に言うたら『腫れてる』ていうことです。」

「腫れとったら悪いんですか?」

「そりゃ駄目ダメ、『悪い』から『腫れて』るんだから。」

という会話になることは請け合い。

みんなたいていこれで納得してまうさかいに
「アホや」言うんや。

よう考えてや、この会話、
『腫れ』てたら何で『悪い』か全然わからへん。

結論から行こか。
『炎症』はええことや!

『病理学』の教科書の一番最初に
「『炎症』とは『組織修復機点』のことである。」
とちゃんと書いたある。

医学の基本の基本の基本の基本や。

『組織修復機点』いうんは
簡単に言うたら
「身体の壊れたとこ直す働きでっせ!」
いうことや。

たとえて言おか。

あなたがブティックでも経営してたとする。

朝お店に行ってみたら
ショー・ウインドーは割れてるし、
中は荒らされとるし、壁紙ははげてるし…と
悲惨に壊れとる。

さぁどうする。

警察と保険屋よんで被害届だすのんも大事やけど、
早いこときれいにして店開けへんかっら商売上がったりや。

土建屋に電話して修理を頼むやろ?
ほんなら土建屋はどないするかいうたら、
まず鳶職人呼んで店の前に足場組んで青いシート張って、
内装とか電工とかの職人呼んできて改修にかかるわな。

ほんなら職人はセメントとか電機工具とか
諸々の材料持ち込んでくるから、
店の中はほこりはでるわ、材料は転がってるわ、騒音はするわ、瓦礫は出るわで
足の踏み場所もあらへんようになる。
いつもの小綺麗なブティックとは雲泥の差ぁや。

もしもこの時あなたが変な潔癖性で、
この惨状に我慢がでけへんで
土建屋にこうクレームつけたらどないなる?

「奇麗なうちのお店のイメージに合わないから、
このみっともないシート剥がして
職人に背広着せてゴミ出さへんで
汚さないで修理してちょうだい!」

おいおいおい、ちょと待てや。
仕事にならへんから修理でけへんし、
まぁどうしてもそれでせぇ言うんやったら
ムチャクチャ金と時間かかるでぇ!

あんた頭おかしいんちゃうか?
工事中やからこれで当たり前なんや。
いつもと違う異常な状態が当たり前なんや。
異常な状態にならへんかったら修理れへんのや。
みんなで一生懸命壊れたとこ修理してくれてはるんやないか!
ありがとう思わんでどないするんや。

ええか、
『炎症』いうのんはこういうことや。
『血液検査の異常値』ていうのもこういうことや。

『炎症』は無理に止めたらアカン。
『異常値』を無理に正常にしたらアカンのや。

(来月も続くぞぉ。)



続く

06.元気になれば病気は直るhttp://www8.plala.or.jp/puresimon/


前回は
「身体のじゃませえへんようにするには考えてもしゃあない。」
と言うた。

そのわけが自律神経にあることもちょっとだけ書いた。

「自律神経。」
これほど誤解を受けてる身体の働きもめずらしいやろなぁ。
みぃんな「自分の意志で生きてる。」いう意識が強いよってなぁ。

人間が生きるための身体の働きをコーディネートしてるんが
神経の天才、つまり天賦の才なんやけど、
みんな意志してやれるもんしか
意識しぃはれへんから(ま、当たり前か…)
意志ででけへん物事をなかなか認めようとしてくれはらへん。

人間を活かせてるコーディネートの働きのほとんどは
意志してでけへん自律神経の働きであって、
みんなが意識してる意志の働きちゅうんは
全部の働きの一割にもみたへんのや。

人間が意志してやれるこというのんは
身体の働きの全部から言うたら、
ホンマに氷山の一角にも値せん程度のことなんや。

そやのにほとんどの人が
このホンのわずかの意志でコントロールできる働きが
身体のすべてやと誤解してる。

困ったこっちゃなぁ。

自律神経の働きが意識でけへんから言う理由で
「自分は自分の意志で活きてるんや!」
と豪語できる人の自律神経は大変や。

無茶ばっかり言うてくる大脳を、
黙って一生懸命支えたらなあかん。

第一回にも書いた通り、
自律神経(旧脳)は言葉を持たんよってにな。

耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、
自然型から外れたワガママな意志を遂行させるのんを
支えるためにガンバっとるんや。

かわいそうやなぁ。
もし自律神経がスト起こしたらどないなるか
考えたことみんなあらへんやろけど、
全部意志でやるとこういうことになる。


まずご飯を食べようと意志する。

しかし「お腹がすいた」という感覚は意識されない。

だから時計を見ながら
そろそろ血糖値が下がっているだろう
と推測される時間に食卓につく。

もちろん「時計を見る」という動作にも
部屋の明るさがまぶしければ、
意志して瞳を縮めなければならないし
暗ければ瞳を拡げなければならない。

時計のほうを見るためには、
首にある十数本の筋肉全てをひとつひとつ緩めたり縮めたり
いちいち考えてしなければならない。

もちろん首を戻して
食卓に歩いていくために立ち上がろう
とすることも全部同じ。

さて立ち上がると
血は重力にしたがって足に残ろうとするので
脳貧血が起こる。

これを防ぐために
下半身の血管を縮めて
血が足に行かないようにしなければならない。

また一歩踏み出すごとに
足がどのくらいの圧力で地についているかどうかを
いちいち確かめ、
すべての関節がどのくらい曲がっているかを感じ、
すべての関節が意志したとおりの角度になるように
数十本の筋肉に
いちいち伸ばす縮むの意志を出さなければならない。

一歩足を出す度に身体の傾きを
縦横高さそれぞれについて感じ、
首や目の玉がまっすぐ前を向いているように
またまた筋肉に意志を出さねばならない。

少しでも意志が遅れたら倒れてしまう。
そんなこんなでようやく口の中に食べものが入ったとしよう。
(書くのが面倒い!)

口の粘膜に食べものが接たる少し前に
唾液を搾り出さなければならない。

そして食べ物の口の中の一を感じつつ
舌を歯でかまないように気をつけながら、
舌の筋肉に意志して
食べものがまだ喉に進まないような位置に
とどめなければならない。

喉に送るにあたっては、
鼻に入らないように「のどちんこ」の筋肉に意志して
「のどちんこ」を鼻の方に倒さなければならない。

喉にはいったなら
気管にはいらないように声帯を塞ぎつつ、
胃に意志して胃液を搾り出しておかねばならない。

また食道の筋肉が上から下に順送りに
縮んでは緩むように意志しなければならない。

そして脳の血管に意志して縮むように、
胃や腸へ行く血管に意志して
ひらくようにしなければならない。

そして食べものが腸に行かないように…

あ、心臓とまってしもた!



これでもだいぶハショって書いてるけど、
読むの疲れたやろ?
書くのんも疲れた。
これ「やれ!」言われてあんたがたできる?

「でけへん」て言うんやったら、
『自分の意志ていうもんの無力さ』

『自律神経によって生かさせてもろうとる。』
という現実を認めてえや。

自律神経の働きいうのんが 
「人間の自然型の働き」なんや。

自律神経にすべてお任せできたら
完全に自然と調和するんや。

自然と調和したら病気である必要がのうなるんや。

一時が万事、意志というもんが上に立とうとするさかい
身体の働きに逆らうことになる。

みんなもう一回
「人間ていう動物にとって自然って何なんや。」
ていうことを考えてみてえな。


続く

2008.6/25 解説
この章で説明しているのは、「自律神経」とわかりやすく書いているが、
純粋な意味での「自律神経系」、
つまり「交感神経」と「副交感神経」だけではないことは
わかる読者ならわかってくれるだろう。
「脊髄反射」や「脳の運動野の協調機能」も含めている。
ま、どれにしても、通常は「意思」でコントロールできない。
(ヨガの行者には自律神経を意思できる人がいるが、
それがいいことなのかどうかはわからない。)

05.元気になれば病気は直るhttp://www8.plala.or.jp/puresimon/


前号では
細胞一匹一匹までちゃんと
血ぃが酸素と血糖を運んでくれることが
「細胞が泣いてよろこぶ」
第一歩やと言うた。

まずは
息ができて食べれてなんぼのもんや。
なに食べたらええかとか
美味しいかとかいうんは二の次。
次に大事なんは、
食べたいときに食べれること、
食べとうない時は食べへんこと。

酸素も一緒や。
例えば胃とか腸、
これは食べもんを食べた時に働くように
産まれもって決められて
そのために一番ええ形に成長した、
言わば「消化吸収のプロ」や。

そやから食べもんが入ってないときは
ぐた~と休むようになってるし、
食べもんが入ったら
一生懸命消化したり吸収したりするように働き出す、
当たり前のこっちゃ。

言い換えたら
胃とか腸からいうたら
こういうふうに使こうてもらえることが、
自らの天才が発揮できて一番嬉しいんや。

この天才いうんは「天賦の才」の略。

みんなでもそうやろ?
自分が一番得意なことてあるやん。
これやらしてもろとったら嬉しいやろ?
他人からみたら
「しんどいのにようやるわ・・・」
とかいうようなことでも
自分が好きなことやったら苦にならへんやん。

好きなもんこそ上手なれて言うやん。

こういうのを「天賦の才」、
略して天才て言うんや。

胃には胃の天才、
腸には腸の天才、
心臓、肺、筋肉、骨etc.
みんなそれぞれの天才に従ごうて働いとるんがハッピーなんや。

さてと、
例えば胃とか腸がその天才に従ごうて
ハッピーに働きたい時には
当然酸素と血糖がようけ要る。

そやから身体いうのんは
胃とか腸が働きたいときには
胃とか腸にようけ血ぃをまわしてやれるようになっとる。

これが自律神経の大事な働きや。

「ご飯しっかり食べたら眠とうなる。」
身体の血ぃが胃とか腸にしっかりまわるから
脳に行く血ぃが少のうなって
ボケて眠たいていう現象になるんや。

あったり前のことや。
ようできたサポート・システムやなあ。
これを自然型と言う。

ご飯食べた後には
頭使うようなことしたらアカンのや。

サポートでけへんから脳はアップアップや、
考えるていう天才を十分に発揮でけへん。

胃とか腸もかわいそうや。
しっかり嬉しゅう働いとるのに、
今いらん頭に血ぃとられて
自分とこの血ぃ減らされたらアップアップや。

元気がのうなるから
胃液から自分を護る力がのうなって
溶けて胃潰瘍になってしもたり、
いろいろ選り分けて
要るもんだけ吸収する力が少のうなって、
要らへん毒物とかバイ菌まで吸収してしまうようになるから、
肝臓の解毒する仕事が多なったり
訳のわからんアレルギーとかが起こってくるんや。

あったり前のことや。
そら自然型に逆ろうてることやからな。

ええか!
仕事しながら飯喰ういうこと自体
身体のじゃましとるいうことなんや。

自分が病気作っとるんやで。
飯喰うたらボケ~として 
「あぁ美味しかった・・・嬉しいなぁ」
いう時間を過ごすように身体はなっとるんや。

飯喰うたら寝転がって牛になってええんや。
行儀とか作法とかは関係あらへんのや。
人間の作った決まりなんか身体には関係ないんや。

心臓なんかは休まず働いてくれとる、
これが心臓の天才や。
こんだけ生真面目に働いてくれるんやから
サポートはちゃんとやっとかへんかったら
血液不足ですぐアップアップや。

そやから心臓が送り出した血ぃは即、
心臓の動脈に行くようになっとる。
心臓だけは特別あつかいや。

胃とか腸とか脳とか他の内臓からみたら
不平等なことやなぁと思うかも知れへんけど、
必要なものを必要なときに必要なだけあげる、
それに代償を求めへん。

これが身体のいう平等なんや。

自然は「与える仕組」で動いてるんや。
自然には自由も平等もあらへん。

自由いうんは
心臓が胃になれるていうことやし、
平等ていうんは
心臓と胃が交換可能やいうことや。

けど心臓がいくら望んでみたって胃にはなられへん。
手術で取り替えても代りはでけへん。
そらそうやろ?
心臓が胃の役割やれて言われてもヘタクソやし、
いくら練習しても上手もうならへんし、
心臓はどだい嬉しゅうないで。

自然に平等があるとしたら
天賦の才のもとでの平等だけや。

胃は胃としてかけがえないものであって、
心臓は心臓としてかけがえのないものである、
このふたつには優劣はない。
これが自然の平等なんや。

いくら天才のもとでの平等いうたって一律の平等やない。
食べるときには胃腸が先で脳は後や。
逆に考えなあかん時には脳が先で胃腸は後や。

その時その時の状況で何を優先するかが決まる。
順番は大事や、
その時々の順番まちごうたら
同じことでも身体のじゃまになってしまう。

な、胃と心臓のふたつとっただけでもこんだけ難しいねん。

身体のじゃまをせえへんいうのんは
考えたら考えるほど難しいもんや。

自律神経の働きやから
考えてできるもんとちゃうんや。


続く

03.元気になれば病気は直るhttp://www8.plala.or.jp/puresimon/


(前号からの続き)

こういうこと書いてる医学書なんかもあらへんしなぁ・・・

そやから世の中の治療いうのんは
病院でも針でも灸でもカイロでも健康食品でも断食でも
ほとんどが対症療法や。

対症療法いうんは手っ取り早う
「あなたにとってご都合の」
悪い症状をとるのを目的にしてるいうことやろ?

そやからみんな言うやん?

「症状がとれて良くなりました」
てね。

そやけど「症状」いうのんは
身体が直るために必要な自然治癒の反応や
いうてこの前書いた。

そやから
「大なり小なり症状をとるていうのんは自然治癒のじゃまをする」
いうことなんや。

ほんまは症状はどんどん出たほうがええ。

症状の意味もわからんと
自分と病人の「ご都合のままに」症状とめとる治療者は
身体つぶしてるようなもんや。

こないいうたら
「対症療法は悪や。絶対拒否します!」
言うてムキになるアホがおるやろけど
それもちゃう。

盆栽は放っといてももう自然型には戻られへん。
枯れてしもたらどないしようもないから
自然型に戻れるとこまで手ぇいれて
ゆっくり剪定してたらんとあかん。

対症療法で
一応これ以上メチャクチャになって死なんようにしといてから、
今まであんたが知らず間違えてきた
生活パターンや身体が何を望んでるかいうことを
お伝えしたげんとあかんのや。

そんでから
自分が使った対症療法なんか
本来身体にとって必要ないことやということもな。

そうやってフォローして初めて対症療法が活きてくる。

即物的な医者とか薬学者とかその他もろもろの治療者もアホやけど、
もっとどアホなあんた方が
「症状が悪や」
て思て
お手軽に「すぐに症状とめてほしい」言うさかい
こんな対症療法が大流行りする。

冷房ガンガン効かせながら
「原子力発電所は造るな!」
言うてるようなもんや。

世の中に誰も望まんムダなもんは存在せん!

みんなが自らそれぞれのの自然型に気づいて、
身体のお知らせにスナオにしたがって
生活パターンを変える勇気をもってくれるようになったら、

その時には
医者も病院も薬も針も灸も健康食品も、
もちろんシモンイモもいらへん幸せな世の中になるんやけどなぁ。

だいたい治療者て他人に言われるもんは、
間違えても自分が「病気を治せる」なんて思たらあかん。

そう思てる奴は傲慢野郎のコンコンチキや。
医者でもカイロでも鍼灸でも霊能力でもええ、
もし治療者が「自分が治した」て言いたかったら死体の傷を直してもらいたい。
別に死体を生き返らせろというわけやあらへん。
自然治癒力のお世話にならんで傷をひっつけてほしい。
結果から言うたら「死体は直らん」。
赤ちゃんの怪我がすぐ直って年寄りの怪我が直りにくいのんも、
そら新陳代謝が活発かどうかいうことや。
自然治癒力の問題やね。

そやから病気になってしもた人は
間違えても治療者や薬とか食品なんかだけで
病気が直るとか思たらあかん。
自分の生活パターンとか体力とかをちゃんとせえへんといて、
そんなもんで手っとり早うに直る思うとる奴は
愚かもんの不精もんのお手軽バカや。

みんなが「他人を治した治した」言うてるんは、
歪んでるのんを真っ直ぐなる方向にちょっと手伝っただけや。
もともと身体は元に戻りたがってるんや。
他人は身体のお手伝いをするが精一杯なんや。
「治した」んやあらへん、「直った」んやで!
みんなもうちょっと謙虚にならんとあかんわ。

「病気を治そう」ていうんは
「病気は悪い」ていう考え方やてわかったら
「病気を治そう」としたらあかんていうのわかるやろ。

アタマで「治そう」としたらもっと歪んでいくだけや。
病気いうもんはアタマや他人が「治す」もんやのうて、
自ら身体を歪めていることが解消したら
自ずから「直る」もんなんや。

病気である必要がのうなるんや。
そのためには身体の自然型にもどらんとあかん。
なんというても大脳でくよくよ考えて
旧脳を押さえつけてるのをやめんとどないしょうもない。

これがストレスいうもんなんや。
旧脳が喜ぶようにしてやらんとあかんのや。
旧脳が喜ぶのは「うれしい」感情になることやと言うた。

実際「うれしい」時は
免疫力も、ホルモン分泌も、新陳代謝も活発になる。
これがなかったらいくら何をやっても効果はない。

みんなすぐ
「早く(手っ取り速く)症状を取ってもらって
もとの生活に戻りたい。」

なぁんてぬかしよるけど、
なぁ、せっかく身体が病気にしてくれて
今までの生活パターンのしがらみからのがれさせてくれたんやろ?

堂々と休めるようにしてくれたんやろ?

「もうやめてくれ」言うてんねやろ?

そやのにまだ性懲りもなく同じ間違いするつもりか?

もうあんたらはこの真実を知ってしもうたんや。

わかっとって同じこと二回やる奴はアホやで。

小理屈言わんと、まずいつも「うれしい」気分になれること。

その上ですべてが始まると思うてぇや。

身体が直る方向に動き出すていうことは
自然治癒力がじゃまされずに動き出すていうことなんやけど、
ひとくちに「自然治癒力を強うする」いうても
みんないろんな中途半端な医学知識、
科学知識とか健康知識とか俗説とか
生命エネルギーがどうの守護霊がどうの宇宙パワーがどうの
ていうように訳がわからんようになってしもうとるやろ?

誤解を恐れずに簡単に言うてしもたら
「細胞一匹一匹が泣いて喜ぶ」
ようにしたることなんや。

来月はこの話でいってみよ~か!


続く

02.元気になれば病気は直るhttp://www8.plala.or.jp/puresimon/


元気になれば病気は直る 2

「病気は今のあなたの生活やめさせるための安全弁や」
と、この前書いた。

病気恨んだらあかんでぇ、
毛嫌いしたらあかんのやでぇ
言うたわけや。

これは、今のしんどさから逃れるための大前提や。

病気直すために一番大事なことやから、
こればっかりは曲げるわけにはいかん。

誤解してもろたら困るんやけど、
河井は何もそこいらへんの医者が言うような
「病気と仲良くつきあいなさい。」
とかいうタワゴト言うとるんやあらへん。

「病気と仲よう・・・」
いうんは
「今までの生活パターンそのままで騙しだまし行きぃや。」
いうことや。

そやない!
生活とか考え方変えんとあかんとこに来てる言うてるんや。
これて簡単やけどゴッツぅ難しぃことやで。

「病気を直す」いうんは「病気である必要をなくす」
て言うことやからな。

これがちゃんとわかってへんかったら、
たとえ対症療法でようなったとしても

絶対に再発するか、
もっと悲惨な事態になるやろ
ゆうことは賭けてもええ。

そやから妥協したらあかんのや。

 みんな、「今」の病気しか見えへんから
「今」の病気のことでしか悩んでへんと思う。
「今」の病気が治るかどうかばっかり心配してるんやと思う。

そらそうやろ、
今までこんな話だれもしてくれへんかったやろからなぁ、
自分もそやったもん。

そやけどな、安心してや、心配いらへん。

病気いうのんは
病気である必要があるから存在する
んやていうた。

まぁいうたら植木と同じや。

自然の姿やなしに
不自然な形の木ィ見て
人間がおもしろいと言うから
木ぃの気持ちも考えへんで好き勝手な形にしてしもうた。

木ぃはネは素直やから
放っといたら自然の姿に戻ろうもどろうとする。

その木ぃを
人間が不自然な形を無理やり維持しようとするさかい
手ぇが要ったり、弱なったり虫つき易うなって
手ぇとるようになったりしたんや。

元もとの植木の木の種類の性格が悪いわけやない。
歪めて悦んどる阿呆が一番悪い。

木ィは健気に、
元へ戻ろう、元へ戻ろうとしとるんや。

けどあんまりムチャクチャに歪められてしもたさかい
自分だけでは戻られへんようになってしもた。

ひどい話やなぁ、かわいそやなぁ。

そやから自分で戻れるとこまで
人間が自然型に近づくように
剪定してやらんとあかんのや、

放任やったら戻られへん。

この剪定するもんは
「自然型」を知ってなかったらでけへん。

これは
知る人ぞ知る自然農法研究家の
福岡正信師が言うてはることや。

自然の法則いうのはシンプルや。
これは木ぃだけのことやない、身体のことでもあるんや。

科学いうんは大脳の産物や。
大脳いうんは分析するんが役目やから、
何でもかんでも細こうするんはうまいけど
まとめるんはヘタや。

科学的な考え方に慣れてしもた人ほど
枝葉末梢まで全部説明せな
理解でけへんようになってまうのんも
しゃあないとは言え情けないもんや。

ホンマは一聞いたら十わからんとあかん。

話がそれた。

身体は直るようにできてる。

いつでも元の自然の形に戻ろうとしてる。

ちょっとの歪みやったら、
ホンマは誰の手ぇ借りへんでも
勝手に直るようにできてる。

みんなが病気病気言うてるんは、
ホンマの原因をなんとかしようとする身体の反応のことや。

直すための大事な大事な働きを

「病気は悪い」

ゆうて邪険にしてるんや。

みんな毛嫌いしてる「炎症」いうんは、
そのままズバリ
「自然治癒の働き」のことなんやで。

熱が出てる時ゆうのんは
身体からインターフェロンが出てるときなんやで。

身体がまだ元気やから熱も出るし炎症も起こるんや。

症状が激しいいうことは
まだ自然治癒力がしっかりあるいうことや。

ご都合が悪いゆうて邪険にしたらあかんで。

全てのからだの反応いうんは
必要やからあるんやから・・・

これが自然型ゆうことなんや。

この前言うた頭の働かせ方の切り替え、あれも自然型や。

な、身体が今なにを求めてどうしたいとおもてるか、
これをご都合の善悪に囚われんと読み取って、
身体のジャマをせえへんこと、

身体のしたいことをじゃましてるもんを見つけて
除けれるもんは除けたげる、
除けられへんもんは主(ぬし)にお伝えして除けてもらうようにすること、
欲しい言うてるもんがあったら足してあげること、

これが治療者と呼ばれてる身体の剪定人のやることや。

ホンマの治療者いうんは
身体の自然型について直感的にわかってる人のことを言う。

少なくともこういう考え方は医学部ではいっさい教えへん。
医者やったら
現場の体験の中で見つけてきた人しかわからんやろなぁ。

何せこういうこと書いてる本もあれへんもんなぁ。

世の中にあるほとんどの薬ゆうもんは、
ブロッカーて言うて
身体の自然治癒の働きをじゃまする成分や。

ブロックするもの、止めるものいう意味やな。

これぜんぶ対症療法なんや。

あんた方が
「症状が悪や」
て思うとるから
こんな薬が大流行りする。

針でも灸でもカイロでも健康食品でも断食でも全部一緒や、
症状の意味わからんと止めとる治療者は
身体つぶしてるようなもんや。

治療者は、間違えても自分が「病気を治せる」なんて思たらあかん。

そう思てる奴は傲慢野郎のコンコンチキや。

医者でもカイロでも鍼灸でも霊能力でもいい、
もし治療者が「自分が治した」と言いたかったら
死体の傷を直してもらいたい。

別に死体を生き返らせろというわけやあらへん。
自然治癒力のお世話にならんで傷をひっつけてほしい。

結果から言うたら「死体は直らん。」

病気になってしもた人も、
間違えても治療者や薬とか食品なんかだけで
病気が直るとか思たらあかん。

そう思てる奴は愚かもんの不精もんのお手軽バカや。

みんなが他人を治した治した言うてるんは、
歪んでるのんを真っ直ぐなる方向にちょっと手伝っただけや。

もともと身体は元に戻りたがってるんや。

他人は身体のお手伝いをするが精一杯なんや。

「病気を治そう」ていうんは
「病気は悪い」ていう考え方やてわかったら
「病気を治そう」としたらあかんていうのわかるやろ。

病気いうもんはアタマや他人が「治す」もんやのうて、
歪めていることを解消したら自ずから「直る」もんなんや。

自然治癒力を強うするいうたら
身体の細胞一個一個がその持てる能力を100%働かせることや。

そのためには身体の自然の基本にもどらんとあかん。

なんというても
大脳でくよくよ考えて旧脳を押さえつけてる
のをやめんとどないしょうもない。

これがストレスいうもんなんや。

旧脳が喜ぶようにしてやらんとあかんのや。

旧脳が喜ぶのは「うれしい」感情になることやと言うた。
実際「うれしい」時は
免疫力も、ホルモン分泌も、新陳代謝も活発になる。

これがなかったらいくら何をやっても効果はない。

小理屈言わんと、
まずいつも「うれしい」気分になれること。

その上ですべてが始まると思うてぇや。

身体は
もって産まれたように使こうてくれること
がうれしいんや。

足は足、手は手、肺は肺、胃は胃、腸は腸、骨は骨、関節は関節。
それぞれもって産まれた使い方してくれたときに
一番血液が流れることになってる。

血液がいっぱい流れてきたら、
細胞は酸素と栄養分に満ち足りてうれしいんや。

その時にいろんな栄養分があったら
もっと「うれしい」ていうのんわかるやろ。

シモンイモの栄養分いうんはそういうもんや。

グズグス言うも一日、
カリカリくるのも一日、
クヨクヨするも一日、

どうせシモンイモにすがるくらいに
他の治療では追いつまってるんやろ?

どうせやったら
シモンイモと河井の戯言にだまされて開き直って、
飯喰ってシモン喰って
へらへら楽しゅう身体動かして遊んでみるのも、
それも同じ一日や。

「ひょっとしたら死ぬんちゃうやろか?」
て思とるんやろ?

それやったらなおのこと、
なんでこの一日を大事に楽しゅう生きへんのか、
私ゃみんなのその神経が理解でけへんわ。

今生きへんで、いつ生きるんや。


続く

終.(農地法篇.終).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

 ここに書いた総ての
『農地法』の『解釈』、
『通達』の『解釈』

あくまで
河井が個人的に考えた『解釈』
です。

だから
「『農地法』は
読みようによっては
このようにも読めますよ。」
という
一例を示しただけだ
と思ってください。

もしかしたら
ここに書いたようなことは
許可してもらえない
かもしれないのです。

もし違っていたとしても
河井を恨まないでくださいね。

 しかし、この読み方が
『農業委員会』や『県農業会議』『県農政課』、
あるいは
『法務局』『農林水産省』などの『行政機関』
によって
否定されたとしても、
「この河井の『解釈』が間違えている」
ということではありません。

『行政機関』の『解釈』
のほうに
無理があるかも知れないのです。

だから実際に
「さあ『本登記』」
というときに
許可されなかった時、
あなたに
勇気と暇と時間があれば、
『裁判所』に
「『農地』取得の『許可』」
を求める
『行政訴訟』

起こしてみてください。

最終的に、その
「『行政行為』の是非」

決定する
のは
『裁判所』

専権事項
なのですから。

40.(農地法篇06).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)





 残念ですが、
『農地法』
によって規定されている
『農業生産法人合名会社』
は、
『商法』
によって規定されている
『合名会社』
と違い、
違う都道府県にまたがって
『農地』を持つことはできません。

これは、
「『農地』の『所有権』

『小作権』

取得する者が、
その者の
住所のある『市町村』の区域外
に、
『農地』に関する権利

取得する場合は、
『農地』のある『市町村』

『農業委員会』ではなく、
『都道府県知事』

『許可権限』を持つ。」
と、
『農地法第三条第一項』

規定されているからです。

これ以上の規定がない以上、
都道府県を超えての『農場』取得

個人、法人を問わず
不可能なのです。

 しかしこの際にも、
『農地』のある『市町村』

『農業委員会』

地元の現状に照らし合わせて
『許可・不許可意見』

書類にして
『都道府県知事』
に進達し、

『知事』

『農業委員会』の『意見』

参考にして
『許可・不許可』
を決め、
『司令書』

『農地委員会』

経由して
『申告者』
つまり
『権利所得者』

交付する。」
ことと、

『農水省通達二七地局第三七〇三号二号(2)のアの(ア)』

定められています。

ということは、やはり
『農業委員会』

実質的に大きな割合で
許可判断

することになります。

 ところで
『農地』以外については
『農地法』
には
特に規定はありません
ので、 
『農産物およびその加工品』

『定款で定めた事業』

行なうための
『工場』や『販売所』、『支店』や『出張所』は、
『商法』

基づき、

その
『都道府県』の区域外
にも
設置できる

河井は『解釈』します。

続く

2008.06/19 解説
この「農業生産法人合名会社」をうまく使えば、
一集落を丸々合名会社にしてしまうことや、
県内のいたるところで、同士の人たちが「農」をするための小規模「農地」を
手に入れることができます。
「法律」が今のままなら、農協や土地改良区が破綻するまで
待ったほうがいいのかもしれません。
農村に余所者が新規就農するときは、その隣保班の人数と同じくらいの人数で
集団的に住み着いたほうがいいと思います。
そうでないと、農村の因習を引きずったままのスタートになってしまいます。
文化は多数決ですから、農村と違う文化が大量流入して、
農村の無用な因習を破壊する必要があります。
そうでないと、農村の人々も、新規の「農」を目指す町の人も、
お互いに不幸な結果に終わります。

39.(農地法篇05).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)


 さて
『農地法第三条第五項』

「『農地』の
『所有権』や『小作権』
などの、
 『権利取得者』とその『世帯員』
が、
その
『農地』取得後
において、
『耕作の事業』に供すべき『農地』

合計面積が
『都府県』では五十アール未満、
北海道では二ヘクタール未満の場合には、
これを認めない。」
という
規定があります。

簡単に言うと、
「『耕作』に使う『農地』の面積が
全部あわせて五反
(北海道では二町)

満たないときは、
買った『農地』を『本登記』することを認めてやんないよ。」

言うことです。

今、都会からの
『新規就農希望者』
つまり
百姓希望者

事実上拒んでいる
のが
この規定です。

これは
農村がどんどん過疎になっていく
原因のひとつでもあるのです。

 しかし、
『農業生産法人合名会社』の「『支店』

『農業生産法人合名会社』の『資産』として、
『支店』が『耕作』する『農地』を取得する」
時には、
『農業生産法人合名会社』が
『農地』を買い足す
ことになりますから、
五反未満の『農地』でも取得することができる
と『解釈』できます。

この方法を使えば、

都会からの『新規就農希望者』を
まず
『商業使用人』
として雇用し、
『農作業』のハウツーを教えて、

仲間として信頼関係ができたら

『代表社員兼常時従事社員』
として
都道府県内

好きなところ

住居を構えてもらい、
『支店』の『農場』の『経営』

任せることができます。

この方法を用いることによって、
今までのように
『新規就農希望者』

『農地法第三条第五項』
の規定によって、
事実上
「住居地の選択の自由が制限される」
という
デメリットが少なくなります。

 だから
『農地法』と合わせてみると、

『農業生産法人合名会社』『本店』は
「 『本店』が『耕作している農場』」
から
片道通勤時間がおおむね
一時間以内の場所に設置しなければなりません
し、
もし
『支店』が『農場』を経営しようとした場合
は、
その『支店』の所在地は
「その『支店』が『耕作している農場』」から
片道通勤時間がおおむね
一時間以内の場所に置かなければなりません。

 そして
『農業生産法人合名会社』

『農地』を買う時は、
その『営業所』
つまり
『本店』および『支店』の所在地の
市町村の『農業委員会』で
農地法第三条認可申請をする
ことになります
ので、
各『営業所』には必ず
『代表社員』

必要になります。

なぜなら、
「農地を買う」
という、また
「『農業委員会』で認可を受ける」
という行為は
「『合名会社』と、その外部の第三者との『契約』行為に当たる」
ため
「『代表社員』の『専任行為』」
となる
からです。

 つまり、
複数の「『農場』

経営する
『営業所』」

それぞれに違う複数の市町村に
所在地

持つときは、
各『営業所』ごとに
『代表社員』

『常時従事社員』

おかなくてはならない
ということです。

と言うことは、当然
『代表社員』は複数
となるため
『共同代表』
を採る
ことになります。

『代表社員』

『常時従事社員』

兼務することができます
から、
各『営業所』には最低
「『共同代表・常時従事兼任社員』が一名
勤務すればよい」

『解釈』できます。

現実的には、
『農業生産法人合名会社』
においては
「実際に農に携わる『常時従事社員』の現住所」

「営業所」としても問題ない
と思います。

続く

38.(農地法篇04).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

 さて、この
『農地法第二項八号』
『農林省通達四五農地B第二八〇二号第二条関係九号』
という
『みっともない通達』
の規定を
『農業生産法人合名会社』
に当てはめると、

「『農業生産法人合名会社』の住所である『営業所』

所在地は
「『耕作している農場』に
通勤可能な距離になければならない。
その距離の目安は、
現住所から農場までの片道通勤時間が
おおむね一時間以内を限度とする。」

ということになります。

 『商法』の探検
の際に
お話いたしましたが、

『合名会社』は
複数の『営業所』を持つ
ことが認められており、
そのうちの
「主たる営業業務」を行なう『営業所』を『本店』、
「従たる営業業務」を行なう『営業所』を『支店』

呼ぶことになっています。

そして
『商法』
での
『営業所』の定義

「『営業』の本拠地
として
指揮命令

発せられ、
『営業』活動の成果が集約されている
ところ」、

つまり
「『業務執行権』を持つ『社員』が居り、
『商業帳簿』が置いてある」
所在地

ことでしたね。

そして
『店舗』でも『工場』でも『鉱山』でも
「同じ地番に『営業所』としての機能があれば」
そこは
『営業所』
であるし、
同じ地番に『営業所』がなければ
単に 
『店舗』『工場』『鉱山』
なのです。

この関係は当然
『農場』にも当てはまります。

つまりその
『農場』の地番に『営業所』機能が付随していれば
その『農場』は
『営業所』として
『商業登記』しなければなりません
し、
『営業所』機能がなければ
単なる『農場』でしかありませんので
『登記』する必要はありません。

ここで大切なのは、
「『農場』は『営業所』ではない」
ということです。

 また
『合名会社』では、
原則的には
総ての『社員』に
「『会社代表権』と『業務執行権』」

平等に認められて
いましたよね。

ということは
総ての『支店』は「各個に独立して
『会社』の外部の第三者と
『契約』をする
『権限』」

『商法』により
認められている
ということです。

もっと簡単に言うと、
『商法』

規定では
『合名会社』
は、
「『社員』の勤務する総ての『支店』」

「『本店』機能を持っている。」
ので
『本店』と『支店』は
その『営業』機能としては
何ら違いがない

のです。

だから具体的に言うと、

「『農業生産法人合名会社』

『会社代表権』を持つ『社員』」
は、

「自らが勤務する『支店』」
から
片道一時間以内の通勤可能な距離に、

自らが
「『常時従事社員』として
『耕作』する『農地』」
を、

「『支店』の『農場経営』
という
『営業』目的」
のため、

「自らが構成する
『合名会社』の『資産』」
として、

「『農地法第三条』に基づき
権利の移転ができる」

『解釈』できる

と河井は考えます。

37.(農地法篇03).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

 では説明してゆきましょう。

『農地法』においては、
その
「総ての『構成員( 『合名会社』では『社員』)」
のうち、
その過半数が
「『常時従事者』たる『社員』」
(その『農業生産法人合名会社』の事業に必要な農作業
に、
主として従事するものと認められる)
であることが、
『農業生産法人合名会社』

『認可』条件
なのです。

ところで
『個人耕作者』の場合、
『権利取得者』
という用語の
『権利』
というのは
「『耕作』する『権利』」
という意味です。

ということは、
「『農業生産法人合名会社』の場合

『権利取得者』
というのは、
現実的には
『常時従事社員』
のことだ」

と河井は思います。

また
「『世帯』の『構成員』が『世帯員』である」
ということは
「『農業生産法人合名会社』の『構成員』が『社員』である」
ということと
何ら変わりませんので、

『世帯員』は、
『常時従事社員以外の社員』
とみなす
ことができますし、

「『権利取得者』
および
その
『世帯員』以外の者」
とは
『商業使用人』
のこと
とみなしてよいと考えます。

ようするに、
「その
『農業生産法人合名会社』
の、
会社の事業に必要な農作業に
主として従事する『社員』か、
または
その他の『社員』が
一応百姓仕事していたら」、
たとえ
農作業が忙しくて『商業使用人』を雇わなければ手が足りず、
『社員』だけではやりこなせない
という状況でも、

主として従事する『社員』が
年間百五十日キッチリ百姓できなくても、
「それでも
『農業生産法人合名会社』

認めてあげましょう。」

と言っている
と考えていいと河井は思います。

なぜなら『民法総則』では、
『自然人』も『法人』も
同じ『権利・義務』を持つ『権利の主体』

規定しているからです。

 また
『農地法第二項八号』
では、
「『農地の所有権』『小作権』
などの
『権利取得者』

現住所が

「『耕作している農場』にから離れすぎて」
いたり、
「『権利所有者』やその『世帯員』が
『非能率な耕作』をしていた」
場合には、
「『農業委員会』は
『農地』の新規取得、新規「小作」契約を認めない。」

規定しています。

簡単に言うと

「『農地』を買おうとしている者が、
その『農地』から非常識にまでに遠くに住んでいたり、
その人や家族が
実際にちゃんと百姓をしない人だった場合は、
『所有権』や『小作権』の『本登記』を認めてやんないよ。」

と言うことです。

 この補足としての
『農林省通達四五農地B第二八〇二号第二条関係九号』
では 
「『農地法第二項八号』
の規定は、

「『農地』は
『耕作』に使用して初めて
『活きる』
ものである」。

だから
「『農地』を『殺す』
ために
手に入れる輩」、

つまり 
『投資目的』

『財産保有目的』

『転用目的』

買う輩には
『農地』の『権利の移転』
を認めない。

簡単に言うと、
「後で売るために持っているだけのためや、
ただ持っておくため、
それに『農地』を『宅地』などに『地目変更』するために
『農地』を『殺す』ような輩には、
すでに買った『農地』でも
『本登記』をさせてやんない!」
という内容です。

 そしてこの『通達』の偉いところは、
「『農地』っていうのは、
その場所その交通の便などがそれぞれに違うものだから、
現地のことを知らない
東京の『農林水産省』では一律には決められません。」、
だから
『農林水産省』にかわって、
「自らが百姓をしていて
地元のことをよく知ってる
『農業委員会』

その地域ごとに
『農地を活かす』基準

作って
認めたり認めなかったりしていいですよ。」

言っているところにあります。

なんと
今は遡る二十七年前の昭和四十五年に、

「『農林水産省』は
「『現場』に権限を委譲している」
のです。

地方分権の先駆けです。
いやぁ立派なもんだ!

ちなみにこの昭和四十五年は大阪万博の年。

裕福なサラリーマンが
ようやく国産の自家用車を買えるようになった年代。
そして農村には
耕運機(乗用のトラクターではなく手押し式のヤツ)が
お目見えした年代。
しかしまだ
ほとんど人力と牛で百姓をしていた時代

作られた
『法律』『通達』
です。

 しかし不甲斐ないのは
今日の『農業委員会』です。

せっかく譲ってもらった権限を
活かして使う頭がないので、
いや責任を執りたくない卑怯者
だからでしょうか。
せっかくの貴重な権限を使いこなさず、
役人のアンチョコに書いてないことは、
いちいち
県の『農政課』
を通じて
『農林水産省』

お伺いを立てている
という不甲斐なさ。

おかげで
『農林水産省』


「その距離の目安は、
現住所から農場までの
片道通勤時間が
おおむね一時間以内を
限度とする。」
という、
国が決める事項としては
マコトにみっともない基準を
『通達』する羽目になっています。

(ただしこの『通達』が何年に出されて、
『官報』に『公示』されたのかどうかは、
河井はまだ聞いていません。)


続く

36.(農地法篇02).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

また『農地法第二条第七項第三号』では
「『農業生産法人合名会社』では
『常時従事社員』数が
総ての『業務執行社員』数の
過半数を占めなければならない」

「この『常時従事社員』は、
その法人の『農作業』に主として従事すると認められる者」

という規定があり、

これを補足するために
『農林省通達四五農地B第二八〇二号第二条関係二号』において

「年間日数の過半を
『農作業』に従事することに費やしていれば、
『主に従事する者』として認める」

と規定されています。

 これを簡単に言うと、

「『農業生産合名会社』を作るときは、
『業務』について『指揮命令』を出す権限を持つ『社員』
のうちの
半数以上は、
一年のうち半年以上『農作業』をしなければ、
『農地法』としては
それは『農業生産合名会社』ではありません。

だから『行政』としては
この『農業生産合名会社』を認めませんよ。」

ということです。


 さて『商法』においては、
『合名会社』の活動は大きく分けて、

「『会社代表権』と『業務執行権』を持った『社員』」
により
「『定款』で定められた事業」を営むための
「『業務』を『執行』するための『指揮命令』を発する。」
ことと、
その 
「『指揮命令』を受けた『社員』、
または
『社員』の『権限』を分け与えられた 『商業使用人』」
により
「『指揮命令』にしたがった『営業活動』が行なわれる」

ことになります。

ということは
『合名会社』の『営業』活動とは、
実質的には
「 『社員』および『商業使用人』による『営業活動』」
と言ってよい
と考えます。

 これを『農業生産法人合名会社』に当てはめてみますと、

「『会社代表権』と 『業務執行権』を持った『社員』」
により
「『定款』で定められた事業である『耕作』等」
を営むための
「『耕作等の業務』を『執行』するための『指揮命令』を発する。」
ことと、
その
「『指揮命令』を受けた『社員』、
または
『社員』の『権限』を分け与えられた『商業使用人』」
により
「『指揮命令』にしたがった『農作業』等の『営業活動』が行なわれる」

こととなります。

従って
『農業生産法人合名会社』の『営業』活動とは、
実質的には

「『社員』および『商業使用人』による
『農作業』等の『営業活動』」

と言ってよいと考えます。

 つまり『農地法』は
『農業生産法人合名会社』に対して、

『常時従事社員』は 
「年間日数の過半数を『農作業そのもの』に従事する」
ことを求めているのではなく、

「年間日数の過半数を
「『定款』で定められた事業」を営むための
「『業務たる農作業』を『執行』するための『指揮命令』を発する。」
ことを求めている

と考えられます。

そして
『農業生産法人合名会社』が
「年間百五十日以上の日数を『耕作』に従事する『権利の主体』」
ということは、

つまるところ
『農地法』は
『農業生産法人合名会社』に対して

「『社員』および『商業使用人』による『農作業』等の『営業活動』」

「年間百五十日以上行なわれる」
ことを求めている

ものと言えます。

 さらに
『農林省通達四五農地B第二八〇二号第三条関係六号(2)』
では

「『農地等の権利の取得者』の農作業従事日数が年間百五十日に満たない場合」
でも、
その『農地』の
「『権利取得者』
か、もしくは
「その『権利取得者』の『世帯員』」

農作業に従事していれば、
「農作業を短期間に集中的に処理しなければならない時期」
には
「不足する労働力を
『権利取得者』およびその『世帯員』以外の者に依存していても」
『常時』従事する者と認める」

と定めています。

 ようするに、
「その『農地』の『所有者』か、『小作人』、
またはその家族の人が一応百姓仕事していたら」、
たとえ農繁期に
忙しくてパートの人を雇わなければ手が足りず、
家族だけではやりこなせないという状況でも、
農業従事者になろうとしているあなたが
年間百五十日キッチリ百姓できなくても、
「それでも『あなたは百姓している』
と認めてあげましょう。」
と、
この『通達』は言っているのです。

そして
この『通達』にも
「『権利所有者』が『農業生産法人』であった場合」

特別な規定はありません
ので、

この『権利所有者』は
『自然人』および『法人』の両者
と『解釈』できます。

 というわけですから、
この『通達』の
『権利保有者』を
『農業生産法人合名会社』
に当てはめますと
こうなります。

「『農業生産法人合名会社』の
『常時従事社員』の農作業従事日数が
年間百五十日に満たない場合」
でも、
その
『農業生産法人合名会社』

『常時従事社員以外の社員』
か、
もしくは
「その
『農業生産法人合名会社』の『商業使用人』」

農作業に従事していれば、
「農作業を短期間に集中的に処理しなければならない時期」
には
「不足する労働力を
『農業生産法人合名会社』

『常時従事社員以外の社員』
およびその
『社員』以外の者

依存していても」

『常時』従事する『農業生産法人合名会社』
と認める」。

いかがでしょうか?


続く

35.(農地法篇01).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

『農業生産法人合名会社』は
「個人」としてと同じように
「法人」として
『農地法』
の規定に従わなければなりません。

しかし
『農業生産法人合名会社』は
『農地法』という『行政法』に従う、
『商法』に規定された『合名会社』
という
『営利社団法人』であり、

『営利社団法人』は
『民法』により規定されています。

だから
『農業生産法人合名会社』は
まるでつぎはぎだらけの妖怪『ヌエ』のような存在なのです。

ですからこれから書いてゆくような
『解釈』
が可能となる隙間がたくさん存在します。

初めに断っておきますが、
これから書いていく『法』の『解釈』は、
あくまで河井が考えついたものであって、
「『裁判所』の『判決』」

「『行政機関』の『解釈』}
ではありません。

『農業生産法人合名会社』というものの、
ひとつの「方向性」ぐらいに思いながら読んでください。



 『農地法第三条第二項第四号』は

「『農地等の権利の取得者』の条件は
「『耕作』に必要な『農作業』に『常時』従事すると認められる者」
と定めています。

その補足として
『農林省通達四五農地B第二八〇二号第三条関係六号(2)』は

「年間百五十日以上の日数を『耕作』に従事する」
ことを
『常時従事する』
、と
『官報』
に 
『公示』
しています。

つまり
『農林水産省』の『通達』は、

「一年に百五十日以上百姓仕事してないと、
あなたが百姓してると認めてあげませんよ、
と『農地法』は言ってるよ」

と言ってるわけです。

 ここで大切なことは、
「この『通達』の主語が
『農地等の権利の取得者』
である」
ことです。

そして
『農地法第三条第二項第四号』には
「『農業生産法人』を主語にした特別な規定」がない
ことです。

 『農地法』のような『行政法』は
『特別法』ですから、

「『特別法』に規定されている『条文』が
『一般法』と競合するときは、
『特別法』の規定が 『一般法』の規定に優先する」

わけですが、

「『特別法』に規定のないばあいは
『一般法』の規定を適用する」
ことになります。

『農地法』から見れば
「『商法』と『民法』」は『一般法』ですし、

『商法』から見れば
『民法』が『一般法』になります。

 ということはこの場合は、

「『特別法』に規定のないばあいは
『一般法』の規定を適用する」
ことになりますので、

「『農地法第三条第二項第四号』における
「『農地等の権利の取得者』」
については
『民法』の規定にしたがって『解釈』することになります。

『民法』においては
「『法人』と『自然人』は
まったく同じように扱われるべき
『権利の主体』」

つまり
「『権利能力』を持つ集団」
ですから、

『農業生産法人合名会社』も

「年間百五十日以上の日数を『耕作』に従事する『権利の主体』」

ということになります。

やはり『農地法第二条第七項』にも、

「『農業生産法人』の定義」として、
「『農業生産法人』の年間『耕作』日数」について、
『自然人』とは異なる特別な記載はありません
ので、
当然このような『解釈』をすべきでしょう。


続く

34.(いんたーみっしょん).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(2008.6/10原稿)

行政法の基本的な解説が終わりました。

この国の行政が、いかにいい加減なものかがお判りいただけたかと思います。

現実として、

日本では、そのほとんどを占めている「行政法」に関しては
議会が議決する「法律」条文だけでは、ほとんど意味を成しません。

法律条文で物事が決まるのではなく、
役人が勝手に決める「通達」により、法律が機能しています。

だから、次の「農地法」の解説では
「法律」よりも、「通達」のほうが大切になります。

後期高齢者医療制度で議会がもめていますが、
結局のところ、法案議決の時には「通達」が法案に書いていないので
法案を読んでも、何がどうなるのか、議員にはまったくわからないのです。

だいたい、成文となった法令集を読んでも
「○○法詳解」という解説書を読まなければ
理解できないというシロモノです。

ですから、「商法」の解説の場合とは違い、
なんで!?・・・ということが多いのですが、
ついて来てください。

では「農地法」に続きます。





33.(行政法篇16).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

では総てが
この『行政統治複合体』が悪いのでしょうか?

『日本』では選挙に金がかかります。

これは皆さんお一人おひとりが、
「自らが『統治』されている」
という
はっきりとした意識がない
ために起こる現象です。

「自らが『統治』されている」

お思いになるなら、
この『統治』という意味にピンとこなければ、
『管理』されている
と言ってもいいです、
『管理』されているという意識があれば、
もっと優しく言えば
「何となくうっとおしい」
という思いがあるなら、

皆さんは

「何で毎日がこんなにうっとおしいんだろう?と悩んだり、
誰が自分を『管理』してるんだろうと思ったり、
どのようなシステムがこの『社会』を『統治』しているんだろう」

と考えるはずです。

でも皆さんは考えない、
いや考えるヒマも取り上げられてしまった、

「忙しさ」と「見栄」と「依存と保身」
という
甘い『麻薬』のために。

 選挙に金がかかるのは、
ごく簡単に言ったら
「皆さんが『代議員』を『行政小役人』と間違えて」
おねだりするからです。

皆さんが
『代議員候補者』

「当選したら道路をよくしてくれ」
とか
「産業を誘致して雇用を増やしてくれ」
とか
「福祉を充実させてくれ」
とか
と陳情しますよね。

これは取りも直さず、
『日本』の『国民』の『血税』

「自分たちだけのために使ってくれ!」
という
『我良し(利己主義)』
ではないですか?

このあなたがたの
『我良し』

実現するために
『行政機関』

さらに権限を強なって
規則の多い「うっとうしい世の中」

なってゆくのです。

そして、
『行政機関』

「『税金』を使って行なう『公共事業』」

参加する企業は
『税金』

大儲けをするわけですから、
このような
「あなた方の『我良し』を
気持ち良く実行してくれる『代議員』」

大切なお客様です。

企業としてはお客様は大切にしたいものです。
必ず接待、バック・リベートは当たり前。

従業員に
『○○候補に一票入れてやってくれ』
といってくれる。

 対する『代議員候補』のほうも、
もし仮に自らが
『行政の業務監査役』
つまり 
『税金の使われ方のお目付け役』

という自覚があってそれを公言すれば、
企業から嫌われて
バック・マージンどころか票も入らない。

つまりは落選、供託金一千万円はパァ!

だからまともな人は『代議員』になれない。

何かが狂っています。


続く

32.(行政法篇15).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

いいですか!
「『行政機関』の『最高責任者』」
「『日本』の『統治者』」である『内閣総理大臣』
は、
「『最大政党』から選出される」

いうことを書きました。

そしてその選出方法は、
「その『最大政党』の内部事情に任されていている」
とも書きました。

そしてその『最大政党』たるや
「単なる『任意団体』」
であり、
その『主権者』たる『国民』にはいっさい公表されない、
いや、する必要すらもない
「『任意団体』の単なる内部事情」

「私どもの『統治者』が決まる」
という
恐ろしい事実に河井は歴然としました。

さらに
『行政機関』の総責任者であり
『日本国元首』である『内閣総理大臣』
は、
「『主権者』の『代表』たる『代議員』」
による
『会議の議決』、
つまり
『日本国代議員議会(つまり『国会』)』

指揮下のみにある
はずなのに、
何かトラブルがある度に
「『行政機関』の『官僚』」

指示を受け、また
「自らの所属する『政党』の幹部」

指示を受けています。

まだ
「『官僚』の指示を受ける」
のなら
同じ部署の中でのできごとですが、
「『政党』の幹部の指示を仰いで決断を下す」
とは
いったいどういうことなのでしょうか!

何度も繰り返すように
『政党』というのは
『主権者』たる『国民』とはまったく関係のない、
そして『法』にも定められていない
「私的思想集団」
なのです。

これを
『統治』の私物化
と言わずしてなんなのですか!

 そうして決まった
『内閣総理大臣』

認めるのが
『国会』
です。

『国会』は
『代議員』の多数決採決
ですから
『最大政党』が決めた
『内閣総理大臣』

可決できるのは当然のことです。

こんなものはイカサマの出来レースです。

「『主権者』たる『国民』の意志」
など
必要としない
「単なる『任意団体』」
である

『政党』
なる
「私欲集団」



『行政機関』と『統治』という点で利害を一致させ、
『行政機関』にエリート『官僚』を送り込み、
『衆愚』なる者には
「金」と「名誉」と「保身」で「依存」させ、
『代議員』の行動をその手に納め、
さらに『司法』の責任者たる
『最高裁判所長官』さえも指名する権限を行使している。

どこが『三権分立』なのでしょう?
どこが『民主主義』なのでしょう?
どこが『国民主権』なのでしょうか?

 現在の『日本』を『統治』しているのは、
「『主権者』たる『国民』を裏切った『代議員』」
と、
「『日本』を『統治』したい『行政機関』」
と、
「単なる私的思想・利権集団である『政党』」
と、
「その三者と『談合』して利益を受けている 『利権団体』」

絡み合った化け物です。

仮にこれを
『行政統治複合体』
と呼ぶことにします。



続く

31.(行政法篇14).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

このグループの『構成員』は『代議員』だけではありません。

そのグループが、選挙で
自らのメンバーの中から
自分たちの『統治』方法を実行させる目的で、
グループの中で『統治』能力を持つ者や、
またグループの言うことを訊く者を
『代議員』に選出するのです。

自ら選出した『代議員』を使って
『行政機関』に
自らの『統治』方法を実行させたい
のです。

 いまの『日本国会議議員』には
二種類の『代議員』がいます。

片方は
『法』を知らぬ『統治』も知らぬ
『農村』的思考者が
『隣保班長』
『道普請役』
『井路普請役』
などを選ぶようなノリで、
自らたちの
『行政小役人』として選んだ『代議員』たちと、

片や
『政党』という
「自らの『思想』でもってこの『日本』を『統治』しよう
と画策するグループ」
の命通りに動く『代議員』

二種類に寡占されています。

この二種類の『代議員』が
いくつかの『政党』に所属しているのです。

 知っての通りこの『日本』は『議員内閣制』を採っています。

『議員内閣制』というのは、
「『行政機関』の総責任者、『統治』の『最高執行機関』、
『日本国』の代表たる」『内閣総理大臣』
を、
『日本国会議代議員(国会議員)』

中から選ぶ制度
です。

そしてその選び方は、
『普通は』、
「『政党』が『所属代議員』の取り合い」
をして、
「『所属代議員』の数が一番多い『政党』の『党代表』

『内閣総理大臣』に選ぶ」

いうことになっています。

この選び方は
皆さんがニュースなどでご存じの通り
『政党』の内部事情で決まります。

 ここで『普通は』と書いたのは、
弱小政党『社会民主党』の『党首』村山富市氏が、
『新進党』と『代議員数』を二分する『自由民主党』と手を組み、
『政権』をひっくり返す見返りとして、
例外中の例外として『内閣総理大臣』に就任した
ことがあったからです。

だからこれも
『法』で決まっている制度ではない
はずです。

 わたしたちは
『政党』というのは
何かちゃんとした、例えば『株式会社』や『公益法人』のように、
『法』に基づいた団体のように思っています。

しかし!
『政党』というのは以外や以外
「単なる『任意団体』」
なのです。

何と!『法人』資格も持っていないのです!
河井はこれを聞いたときには絶句してしまいました。

そこいらを走り回っている「暴走族」とかわらないのです。
この「自然と健康を考える会」とかわらないのです。
「(指定以外の)暴力団」とも法律上かわらないのです

続く
2008.06/07解説
暴力団対策法の指定暴力団と、以下の法令で指定される政党は、
法人格を持たないという点で、まったく等価です。

政党の法律上の要件

日本では、公職選挙法・政治資金規正法・政党助成法(法人格付与法は政党助成法と同じ定義)でそれぞれ似ているが微妙に異なる要件を定めている。
「政治団体のうち、所属する国会議員(衆議院議員又は参議院議員)を5人以上有するものであるか、近い国政選挙[1]で全国を通して2%以上の得票(選挙区・比例代表区いずれか)を得たもの」[2]を政党と定めている。

暴力団対策法による暴力団の定義

暴力団のうち犯罪経歴を保有する暴力団員が一定割合以上を占め、首領の統制の下に階層的に構成された団体を公安委員会が「指定暴力団」に指定する。

* 暴力団 - その団体の構成員(その団体の構成団体の構成員を含む。)が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体をいう。

ともに、現状に存在する「責任能力のない社団」のうち、
特定の要件を満たした「責任能力のない社団」を
「政党」なり「暴力団」と、「行政」が「認定」し
特権(基本的人権に加算されるオプションの権利)を与えられたり、
人権を一部剥奪されたり
しているだけの話です。

政党にしても、暴力団にしても、
政党として、または暴力団として、
他者と契約を結ぶことはできません。
党首個人とか、親分個人としてしか、例えば借金ができないのです。
政党活動の不始末や、組の活動の不始末も、すべて構成員個人の責任です。

これと対極にあるのが「公務員」です。
「公務員」は個人として、「行政」責任を取ることはできません。
「公務員」個人の不始末は、法人としての「国」が責任を取ります。

わからないのは
法人である「国」の債務に関して
「国」の出資者兼構成員である国民は、
「有限責任」のみなのか、「無限責任」を負うのか?

どこにも規定がありません。


30.(行政法篇13).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

この『日本』には
『政党』と呼ばれているグループがあります。
『自由民主党』
『新進党』
『社会民主党』
『公明』
『新党・魁(さきがけ)』
『日本共産党』
などがそうです。

これからこの
『政党』
というグループの正体
を明かしてゆきます。

 ちなみに辞書によると

『政治』とは
「『国家の主権者』が、
その『権力』にもとづいて、
『領土・人民をおさめる』
すべての活動。」

とあります。

ついでに

『統治』とは
「『国土・人民を支配する』こと。」
だそうです。

ということは
『政治』という行為は
『統治』行為と同じこと
なのです。

『政治』という呼び名には
あまりにも手垢がつきすぎていて、
読者の皆さんお一人おひとりによって
受けるイメージが異なり、
いらない誤解を産むことが嫌だったので、
今まで意識的に『政治』という言葉を使わなかったのです。

またこれからも特に必要がない限り『政治』ではなく 
『統治』という言葉を使います。

 さて、またまた辞書で
『政党』
という項をひくと

「『政治』上、
『同じ考え・理想をもつ人々』が集まり、
つくった団体。」
と載っています。

つまり『政党』とは
「『同じ思想』で
この『日本』を『統治』しよう
とする
グループ」
のことです。

皆さんは『政党』というと
「『議員』さんの集まり」
のように思いますが、
必ずしもそうではありません。

もっと河井流のもってまわった表現をすると、
「『政党』の『構成員』は、
『日本国憲法』上の『主権者』である
私ども一人ひとりの『国民』
が、
放っておけば独走しかねない『行政機関』

監査監督するために、
『行政機関』の業務内容に対する『業務監査役』
として、
わざわざ選挙で選出した
『代議員』だけの集まり」
ではない
のです。

 古来日本では、『党』というと
「徒党を組む」
という言葉が
真っ先に浮かびますが、
この「徒党」を辞書でひいてみると

「大きな(よからぬ)ことを、
たくらみ起こすために集まった、
志を同じくするなかま。」

というように
あまり良くない意味に使われています。

確かに『天狗党』とか『不知火党』とかのように
普通は秘密結社のように使われています。

なぜこの『党』という呼び方が
『政党』という組織に使われたのかはよく判りません。

すくなくとも『行政機関』にとっては、
自らの『統治』行為をおびやかす
『党』というのは好ましくない存在
であったようです。

 さて現在の『政党』ですが、
先にも言いましたが

「『同じ思想』でこの『日本』を『統治』しようとするグループ」

のことです。


続く

29.(行政法篇12).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)



まだそれでも利益が出ていれば許せるのですが、
融資(金を借りること)を受けていながら、
殿様商売で業績が上がらず返せない、
つまり借金が焦げついているところがほとんどです。

じゃあ、どこから金を借りているか、
その金の出所はどこか?
実は皆さんの一番信用している
『郵便貯金』
『簡易保険』
『国民年金』
から貸し出されているのです。

いいですか! 
「『公共事業』に貸し出された皆さんの預貯金」
(難しくは財政投融資といいます)
は、絶対に返ってきません!

 このような
『郵便貯金』
『簡易保険』
『国民年金』
をあわせて
『公的資金』
と呼んでいます。

「『税金』ではなく『公的資金』」。

とってもまろやかで口当たりのいい言葉ですが
よ~く注意してください。

『銀行』や『証券会社』の破綻の時に 
「『預金者保護』や『金融システム』の保護のため
なんぞという名目で
『公的資金』を投入しろ!」
とか言いますが、
あの『公的資金』は
「あなた方が預けて時が経てば返ってくる」
はずだった
『郵便貯金』
『簡易保険』
『国民年金』
のことなのです。

それに常識で考えて、
潰れた会社に貸した金なんぞ戻ってくる
と思いますか?

「 『公的資金』を投入しろ!」
と声高に叫んでいる人が、
その会社の倒産で一番損をする人
なんじゃないでしょうかね。
ご用心ご用心。 

 話がだいぶ
『三権分立』の原則論
から外れていますが、
この外れている『統治』システムこそが
『日本』の現状なのです。

これからさらに、もっと頭の痛い話をします。


続く

28.(行政法篇11).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)


 それに対して、GHQは
日本の『行政機関』を去勢したものの、
敗戦処理とアメリカの国益に沿って『日本』を改造するため、
『行政機関』の解体は行なわず
その『官僚』としての人材を活かして使いました。

戦前および戦後すぐの『官僚』群は、
その総てが『東京帝国大学』出身者であり、
今現在の『東京大学』何ぞとは比較にならないほどの
国際感覚や経済感覚、そして法知識を持った『超エリート』
だったのです。

片や先ほど言った通り
『小役人』根性しか持ち合わせていない『代議員』
など、
エリートから言わせれば
『衆愚』

しかありません。

事実その通りです。

しょせんこの勝負、
初めから勝負などにもならず、
『立法機関』は『行政機関』の尻に敷かれる
ことになったのです。

 だから
ラジオやテレビで流される国会中継
などは、
『日本』の『統治』機能のオマケ

放送しているにほかなりません。

いいですか!
『日本国議会』など
何も本来の役目を果たしていないお飾り
なのです。

あれは
「愚かな国民向けのエンターテイメント」
なのです。

ただ唯一の例外、
『農村』出身者で
『東大』を出ずに
『法』を自在に操り
『行政機関』を操ることのできた『代議員』
は、かの故
『田中角栄』元首相
以外にはありません。

そして『東大法学部』を卒業し、
なみいる秀才群の中で切磋琢磨され、
そして権力闘争に勝ち抜いてきた

「ひとにぎりの本当の秀才」
が 
『行政機関』のエリートたる
「『高級官僚』の最高地位の『事務次官』」

任期を終えたあと、
続々と本来の意味での
『立法能力』を持った『日本国代議会議員』

立候補をし、
選挙に通るためだけのために
「『衆愚』と成り果てたあなた方」

耳障りのいい
「便利・簡単・気持ちいい」『公約』

並べて当選してゆくのです。

そしてこの
『日本』の『法』

定め
『日本』を統治している
のです。

もちろん彼らは
自らを育ててくれた『行政機関』
には恩があります。

「『行政機関」を監督監視すべき『立法機関』」

『行政機関』OBに乗っ取られている
のに
『行政改革』などできるはずがありません。

 さて、ひとにぎりの秀才が抜擢されてゆく
のは当たり前なのですが、
『官僚』は毎年一定人数を採用されます。

そして『公務員』ですから
そうそう解雇になることもありませんし、
退職年齢まで普通は勤めるもの
と相場が決まっています。

では質問。
選ばれなかった『官僚予備軍』
つまり
『一級公務員』達は
どこへ姿を消してゆくのでしょうか?

彼らには妻も子も住宅ローンもあります。
おいそれとは路頭に迷わすことはできませんし、
なんといっても『労働組合』が許さない。

というわけで
各企業に天下りをする、
都道府県に出向する、
必要不必要な国営企業である
『公社』
『公団』
『事業団』
をでっちあげて
経営陣に納まる、
その『公団』に納まっているOBどもが
さらに自ら『株式会社』を作って
『公社』『公団』『事業団』

公共事業を一手に廻す
などなど。

落ちこぼれ『公務員』に対しては
これでもかこれでもかというくらいに
手厚い福祉がなされているのです。

 それも総て私どもの『血税』を使ってです。

続く

27.(行政法篇10).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

 少し話が逸れましたね。
さて『内閣』には
各『省』という『行政執行機関』の責任者である『国務大臣』

『大臣』を補佐をする『政務次官』(通常は『代議員』)
がおり、
その『国務大臣』の元に、
一般に「事務方」と呼ばれる「『事務次官』
から始まる『官僚』群」

『省』ごと

ピラミッド型組織を作っています。

『省』の下には

『局』
『部』
『課』
『係』

部署がならび、
また
『省』の外局として
『庁』がおかれる
場合もあります。

ちなみに
『行政機関』に所属している『国民』
のことを
『公務員』

呼びます。

私どもが今から相手にしていく
『農林水産省』

この『行政機関』のひとつです。



 さて、今まで
「『行政機関』の権化」
たる
『日本』

解説してきました。

そしてその
『行政機関』

少しでもブレーキをかけるため

『立法機関』
つまり
「国民代議員会議」である『国会』

存在するのだ

いうことを解説してきました。

そしてまた、GHQによる
『日本国憲法』

認められた時から
「『三権分立』を基礎とした『代議員』制度が始まった」
ことを
解説しました。

しかし、
敗戦時の国民のほとんどは農民であり、
その農民の属する農村の生活は、
遠く室町時代から『村の掟』のそのままに、
地主から年貢を取り立てる役目が
幕府からGHQに代わっただけで、
実質タイム・スリップしただけのものだった
ことも申し上げました。

そして
『日本国憲法』
のもとでは、

「『納税額』にかかわらず、
二十歳になれば、全国民が
『選挙権』『被選挙権』
という
「『行政機関』のプロ、
『日本』のエリート中のエリートである『官僚』

コントロールする」
重大な『権力』を、
自動的に手にすることができる」

という
『自由選挙制度』

実施されました。

 しかし悲しいことに
『選挙民』も『代議員』も、
その過半数はこのような『農村』出身者

あったわけですから
『法』に触れたこともありません。

ましてや
『行政機関』の強大さや
『権力』の大きさ
『官僚』の頭の良さや、
特に
「自らに与えられた『立法権』の大切さ」
など
いっさい判らなかった
はずです。

そして今でも判っていません。

『日本』の『選挙』はまるで、
部落で言えば
『隣保班長』
『道普請役』
『水普請役』
などを
選ぶようなノリで行なわれています。

つまり『日本国民』は 
『国会代議員選挙』で、
「放って置いたら独走する『行政機関』

監視監督する『監視人・監査役』
である
『立法機関員』、つまり『代議員』

選んでいるのではなく」、
逆に
「『行政機関』の業務執行」

大義名分を与えるための
『行政小役人』

選んでいたのです。

私たちは選挙で
『日本国会議議員』

選んでいたつもりが
「『行政機関』の応援団」

選んでいたのです。

そんな
「応援団」たる『代議員』
が、
『国会議事堂』というイベント・ホール

集まって
『会議』という名の「集会」

いくらしたところで、
『行政機関』を抑えきれる『法』
つまり
「規則」を作れるわけがありません。

『行政機関』

動きやすくなる
ような
『法』を作らされる
のがオチです。

 『村』の論理は
「全員一致、結果の平等」
これはつまり
『談合』に他なりません
から、
当然
「『立法能力』のない『行政小役人』」

集まった
『日本国代議員議会』つまり『国会』の運営

『談合』になる

決まっています。

つまり土台
『日本国議会』には
『談合』はあっても『立法』能力がなかった
のです。

断っておきますが
河井は「『談合』が悪い」
といっているわけではなく、

『談合』は「『日本』の農村文化である」

いうことなのです。

西洋式狩猟民型合理主義(正・テーゼ)

日本式農民型平等主義(反・アンチテーゼ)

西洋論理学的にステップ・アップ(合・シンテーゼ)
した結果が、
世界史上に誇りうる
「『違法な談合社会』による戦後日本の繁栄」

作り上げたのです。

歴史の皮肉としか言いようがありません。


続く

2008.6/3 解説
この行政法の解説が終われば、
お待ちかねの合名会社の農地法への適用に入るのですが、
行政法を理解するためには、『法』だけでは「まったく」理解できません。
なぜなら肝心なことは『法』には書いていないからです。

『法』の構成は、
『法』の条文 > 『施行令』 > 『施行規則』
という階層構成になっています。

『法』の条文は、『立法府』が議決します。
『施行令』は、正式には『政令』といって、『内閣』の合議で決定し、『所轄大臣』が捺印して
『天皇』が承認して『官報』に掲載されて、効力を持ちます。
基本的には、議員内閣制なので、代議士=主権者の代理人によって承認された
「決め事」です。
『法律』の本を読んでも、『施行令』のボリュームは少ないです。

問題なのは『施行規則』です。

この『施行規則』は最下位の階層でありながら、事実上行政法の本体です。
『施行規則』がなければ、『法』が成り立ちません。

『施行規則』は、正式には『省令』と『通達』から構成されています。
どちらも、行政機関内部の業務命令であり、
本来は、公務員以外の行動を束縛することは出来ません。
なぜなら『代議員=主権者の代理人』が
決定にまったく関与していない「決め事」だからです。
議会で議決される『法案』には『施行規則』は書いてありません。
『法案』が可決されて『法』になった「後で!」
『行政』が、主権者に無断で、勝手に決めているのです。
『法律』に詳しく決められてしまったら、『行政=役人』の自由裁量がなくなります。
「役人の自由裁量度」が、つまるところ「役人の権限」なのです。
『施行規則』がものすごいボリュームであること自体が、
「役人の権限」の大きさを物語っているのです。


26.(行政法篇9).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿,2008.6/2 加筆)

 さてやっと『行政機関』の話になってきましたね。

この『行政機関』というものを『会社』で例えると、
『取締役会』を頂点とする
各『部』『課』『係』といったピラミッド型組織です。

この『取締役会』のことを『業務執行機関』と呼びます。

『取締役会』には

『(代表取締役)社長』
『(取締役)副社長』
『専務(取締役)』
『常務(取締役)』
『(いわゆる)平取(締役)』
『監査役』

といった面々がいます。

この面々の職務名には『役』がつくので、
一般には『役員』と呼ばれています。

このメンバーには
『株主』でなくてもなれることになっています。

『監査役』

現実には有名無実な存在です。

というのも、日本では
「会社は『株主』の共有物である」
という認識が
『株主』にも『取締役会』にもない
からです。

本来
「『業務執行機関』である『取締役会』」

『株主』に不利益な業務
をしないように
業務内容を監視する」
ために
「会社の『所有者』である『株主』」
によって作られた
『監査役』
なのですが、
『株主』が『株』を博打の道具にしか思っていないので
『監査役』も機能しなくなったのです。

今本来の『監査役』の役割をしているのが
「『総会屋』と呼ばれている人々」
であるという強烈な皮肉、
そしてその 
『業務執行機関』たる『取締役会』

『国』と組んで、
『警察』や『司法』まで使って
『総会屋』を排除
しようとしている現状
はいったいどう解釈すべきなのか。

もし
「弱小『株主』が集団で『総会屋』と契約

『議決権』を委任」
して、
『株主総会』で
業務執行に関する不正を追求したらどうなるのか。

『司法』がこれをどう判断するか

非常に興味があります。

 
また
「『業務執行機関』である『取締役会』

雇用している
『従業員』」
のことを
『商業使用人』
といいます。

ちなみに
『商法』では
部長クラスは『支配人』、
課長クラスが『番頭』、
課長クラスを『手代(てだい)』

呼んでいます。

 これを『国』にあてはめますと
『取締役会』というのは『内閣』にあたります。
そして
『国務大臣』

『取締役』
です。

『官房長官』

『副社長』。

『外務大臣』『財務大臣』『防衛大臣』
などが
『専務取締役』。

『無任所大臣』

『平取』
ですね。

官僚のトップの
『事務次官』

『部長』
だから
『支配人』
です。

『株式会社』
においては
『支配人』

『業務』を効率よく行い、
会社により大きな利益をもたらす契約で
『取締役会』の権限により
『雇用』され
契約不履行の業績なら
『取締役会』の権限で
『解任』出来ます。

しかし
『日本』
では
『内閣』
に依らず、
『官僚機構』の順列で
『就任』し
『所轄大臣』であろうと、『内閣』であろうと、
『解任』することは出来ません。

『日本』では
『官僚=使用人』のほうが
『代議員=主権者の代理人』よりも
偉いのです。

『日本』
では
『議員内閣制』

採っていますから
『内閣』
は主に
『国会議員』から選ばれる
ことが多い
のですが、
『法』的には
「『国務大臣』の過半数は『国会議員』より選出する」
ことに
なっています。

だから半数は民間人でもかまいません。


続く

25.(行政法篇8).『農業生産法人』の『合名会社』の作り方(平成9年原稿)

 さてこの『株式会社』は『法人』ですから、
『会社設立』の時に
必ず『定款』を作らなければいけません。

この『株式会社』は
『定款』にないことをやってはいけませんし、
『定款』に違反するような『社則』を作ってはいけません。

『定款』の枠組み以上の事業をしたければ、
「『定款』の規定している手続き」
にしたがって
『定款』の『変更』

すべきです。

通常
「『定款』の『変更』」

「『株主総会』で『株主』の承認を得る」
という
手続きが必要です。

 このことを『国』にあてはめますと
『国』という『公法人』

『定款』

あたるものが
『憲法』

なります。

そして
「『憲法』に違反するような『法』は作ってはいけない」
というわけです。

『憲法』にはちゃんと
「『憲法変更』の手続き」

定められています。

このうちで
『株主総会』にあたるものが
『国民投票』です。

『国』を取り巻く情勢が変わって
『憲法』の枠組みがじゃまになったのなら
「『憲法変更』の手続き』」
という
『憲法』
を護って、
「『憲法』を『変更』」
すべきです。

「『憲法』の『変更』を絶対に許さない!」
という
行為(主張はOK)

『憲法違反』
ですし、
第一「『国民投票』の機会をなくす」
ことは
「総ての国民一人ひとりの共有物である『国』」

『代議員』による私物化です。

 さて
『定款』が『憲法』
であるなら、
『社則』が『行政法』

あたります。

『社則』

もちろんその「会社の内部」でしか効力を持ちません。

その『会社』に所属していない『株主』

『社則』とは無関係です。

ただし、
その『株主』
が、
その『会社』

『契約』を交わす
ときは、
当然その『会社』の『社則』にしたがって
『契約』を結ぶことになります。

 同じように
『行政法』は『行政機関』の中
でしか
効力を持ちません。

つまり
『行政機関』に所属していない『国民』

『行政法』とは無関係
です。

ただし、
その『国民』

その『行政機関』と
『契約』を交わす
ときは、
当然その『行政機関』の『行政法』にしたがって
『契約』を結ぶことになります。

『農』で言えば、
『農』をしようとして『農地』を手に入れようとしたとき、
「『農業委員会』に『申請』し、『許可』をもらう」
という
『契約』
がそうです。


続く
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