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1.「農地を手に入れよう」、平成9年原稿、

「そうだ!生活の基盤は『農』だ!」
と思った方が
はじめにぶつかる問題は『農地』です。

土地がなければ『農』はできない。

今や都会にゃ庭もない。

さてと困ってたずねようと思っても、
皆れっきとした都会人ですから
マンション建て売りアパートは知ってるけども、
とんと『農地』は分からない。

東京ならば三省堂、大阪ならば旭屋書店、全国ネットの紀の国屋。
どこを見ても回っても、『農地』の本などありゃしない。

時々見かける月刊誌には
「ウッディ・ライフ』や『ログハウス』『田舎暮らしの本』など
あるにはあるが、
どれに出ている土地も『宅地』であって『農地』じゃない!

『農地はどこだ~~~』

 というわけでまずは「農地』の捜し方から。
まずは地図を広げてください。
今自分が住んでいる市町村の中のできるだけ近いところで

まだ田圃や畑が残ってるようなところを捜します。

なぜなら原則として『農地』は、
現住所のある市町村の中にしか認められないからです。

だからもしあなたが
引っ越してもいい
というなら話はもっと簡単になってきます。

まずは「この辺がいいなあ」と思うところが見つかったら、
まずはそこいらの地名を確認します。

こりゃマ当然なのですが、
この後は二つオプションがある。

 1.この地区を管轄している地方裁判所を見つける。

これはお近くの地裁に電話して聞くのが一番手っ取り早い。

「裁判所で何やるの?」ということですが、
地方裁判所には必ず『競売』物件のリストがおいてあります。

これは正しくは「けいばい」と読むそうで、
司法関係の人は決して
「きょうばい」とは言わないので混乱しないように。

 この競売物件は大抵が
「借金のかたに担保に入れた土地を
貸されたほうの了解を得ずに売りとばすことによって、
貸した金を取り戻したい」
時に使う合法的な方法です。

最近では相続税が払えないので土地を売ろうと思ったが、
バブルがはじけて売れなくて
困って自ら競売にかける方もおられるようで。

というわけで、
この競売物件には種々雑多、
ピンからキリまでの物件が珠石混合で入っているわけですが、
この物件については電話じゃ教えてくれない。

もちろんメールも駄目。

自分で地裁へ出向いて
自分でファイルを見ることから始まる。

地裁にさえ出向けば、
事務方の職員の人が結構教えてくれるものです。

 また、ここで気をつけなければならないのは
売却に付随する条件です。

例えば、家屋の場合は
まだ借り主が住んでいるままに
売りに出すことがあります。

この時は借り主との賃貸契約が優先されますので、
買ったとしても先方が納得しないと
出てもらうことはできません。

『農地』については、

『小作権』という農地賃貸契約が結ばれていると
『小作権』が所有権よりも優先となりますので、
買ったはいいけど百姓ができない

という悲惨なことになりますので要注意。

特に「永久に小作権を認めますよ。」
という『永小作権』が設定されている『農地』には
手を出さないことです。

他にもいろいろ条件付きの物件が多いので、
分からないことは事務の方によ~く聞いて
納得してから競売に参加しましょう。

競売については、
家裁には必ず『競売の手続き』を書いた
パンフレットがありますので
よく読んでその手順通りにしてください。

続く

2008.4/30 注
これは平成九年の原稿です。
農地法はあまり改正はなかったと思いますが、
商法は、おととしに大改正がありました。
また、銀行や金融業法関係は、いつの間にか大幅な改正が行われています。
だから、この原稿は鵜呑みにせず、
参考にして、ご自身で裏を取り直してくださいね。
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ここで中断 7. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」

 さて『私有財』が認められていないこと、
これはつまりこの社会システムでは

「無理なく無駄なく利用する」

ことが最高の価値観念なので、

「『私有財』として物を貯めて、積み重ねた、まま使わない」

ことは、文字通り

「罪重ねる」

行為なのです。

『お金』の最大の利便性は
「貯蓄できる」
ことにあったわけですから、

来たるべき社会においては
その行為自体が「罪重ねる」ことに他ならないので
『お金』は必要ないのです。

だいたい『貯めておく』という行為自体が
「将来への不安」心理から出た考え方ですから、

『未体験ゾーン』を生き抜いて
この社会システムにたどり着いた人々にとっては、

これがいかにくだらない時間と物の無駄か
ということは判っているはずです。

 だいたい「貧富がある」という現象自体が
「貯蓄する」という行為から発生したものですから、

「貯蓄(罪重ねる)」という行為が必要なくなれば
当然「貧富」などという概念自体がなくなるのです。

今流の言葉を使えば来たるべき社会システムは
『フロー(流動資産)』だけの経済システムです。

今のシステムでは
工場設備などは『ストック(不動資産)』になりますが、

この設備などにしても『私有』なく『共有』ですから、

必要でなくなれば
利用者や利用方法を変えることで流動資産となり
無駄なく再利用できることになります。

 ところで物々交換の中身は

『物』と『物』の交換

だけではなく、

『物』と『行為』、
『行為』と『行為』の交換

でもあります。

だから、陶器を焼くのが天才である方には

『この約束手形をお持ちになりました方には、
お好みのデザインの陶器を焼かせていただきます。』

なんていう約束手形を

「個人の信用をかけた約束」

として発行することも認められます。

この社会では
『いったん口から出た言葉』
は必ず守られなければなりません。

だいたいこの社会に到達するまでに、
生き残った人々は『保身』の無意味さを
身を持って理解していますから、

『保身』から出る『嘘』を必要としないはずです。

さて、この世にはいろんな天才を持つ方々がおいでになります。

楽器の演奏が天才である方は
『この約束手形をお持ちの方には、
レパートリーの中から五曲を演奏させていただきます』
なんて約束手形も出回るかもしれません。

2008.4/30 解説
次の社会システムの平成九年原稿が、これで切れてしまいました。
まだまだ、流通や、医療などはどうなるのか?とか、
交通手段は?とか、書いておかなければならないこともあったのですが、
また、ちまちまと、2008版の原稿を書いていきます。

次は現実的に、平成九年時点での「さぁ!農地を確保しよう」です。

6. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」

 この「祭り」は
村民のフリー・マーケットでもあります。

ただいま流行りのフリー・マーケットは
小銭を儲けることが目的のようですが、
来たるべき社会システムでは 『お金』 はありません。

物々交換が主な取り引き方法です。

また、このフリー・マーケットは、
自らの天才によって
楽しみのうちに造った作品を、

必要とする人にもらっていただくという
「ギブ・アンド・ギブ」
『与えるが先』
の仕組みで運用されます。

 総ての人には

「好きなものこそ上手なれ」

という天才があるものです。

この社会の子育ては、
子供が生まれ持った秘められている天才を見つけ、
引きだし伸ばして差し上げることであって、
万遍ない学力をつけることなどではありません。

この社会システムは

「総てを無理なく無駄なく利用する」

ことにありますから、

この天才を全うすることが各自の生きる目的となります。

この総ての天才を
いかに適材適所で役立ててもらうかというコーディネート能力が
『村長(むらおさ)』には求められることになります。

ですから『むらおさ』は
必ずしも年長者であるわけではありません。

ふさわしいコーディネート能力さえあれば
ティーンズの『むらおさ』でも認められるのです。

2008.4/29 解説
この社会での成人は、今の学制で言えば、中卒になります。
なぜ中卒かといえば、

まず、生殖年齢になること。
これは、すべての野生動物では当たり前のことです。
今の制度では、生殖年齢であるにもかかわらず、
生殖行為を「いやらしい」などと蔑んでいます。
しかし、生殖行為は
「有り余るもの、足らざるもの、足らし相い、嬉し!嬉し!」
という、この社会の一番大切な基本の、「型(モデル)」なのです。

第二に、この年代が一番無理なく、楽に、子を授かることができます。
子は、親が自らの意思で作るものではなく、
自然(=神)の一部である魂が、自らの意思で宿って、
初めて、流れず、生育が始まるものです。
三歳までの幼児は、受精前の記憶や胎児記憶を覚えていることがあります。
入れ物(=お宮)としての肉体に、ご神体として降臨するのが魂ですから、
今の生殖医療は根本から間違えています。
子は作るのではなく、因縁の御霊に降臨していただく条件を整えて
喜びのうちにお迎えすることなのです。

第三に、この年代は自我が芽生える年齢です。
自我とは、自律と自立を求める欲求です。
そして自我とは、自らの「天賦の才」を自覚することでもあります。
自我の確立には、鏡としての他者を必要とします。
そして他者の最たるものは、足らざるもの足らし相う、恋人(=乞い人)なのです。
自らを捨てても、相手を大切に思う、この赤心(=純粋)の気持ちは、
ティーンズにピークとなります。
赤心の気持ちが、嘘偽りのない心が、この社会の「型」であり、
もっとも価値のあるものです。

そして、この年代であれば、親はまだまた肉体的に若く、
孫の世話をすることができます。
そして、親は子育てが終わっても、それから「天賦の才」を磨くことができます。

15才で第一子、20才までに三子を授かったとしても、第三子が成人、
つまり15才になったとき、まだ親は35才。
さらに、親の親がサポートしてくれるので、
30才から、残りの人生をすべて「天賦の才」に生きることができるのです。
これが「嬉し」以外のなにものでしょうか?

5. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」

 例えば『農産物』が収穫されたとしましょう。

すると自然に感謝するための『収穫祭』が行なわれ、
総ての『収穫物』が
お寺や神社、公民館などの『集会場』に持ち込まれます。

これは『収穫物』が各自の手を離れ、
いったん自然に返還するという儀式です。

なぜなら、人は自然から与えてもらった物でも、
それに少しでも自らの手が加わっていれば
『自分の所有物』であるという誤解をしてしまうから、
いったん自然に返す

「祭りという楽しい儀式」

によって誤解を解いておくわけです。

そして村人がそれぞれ
自分の必要なだけを自由に持って帰るのです。

この時には、例えば身障者や子供老人、病人、無精者などの人も、
同じように自分の必要な分を持って帰っていいのです。

なぜなら、この社会システムのモデルは自然のあり方ですから、

自然は能力のあるものも
能力のないものも

ともに存在を許していることに見習った制度なのです。

 この制度が産まれるのは
皆さんがすでに『未体験ゾーン』の生き地獄を経験した後ですから、

「よく生き延びたもんだ」、と言うより
「生かされた」という思いのほうが強いはずです。

今現在のような、
『欲』『見栄』『保身』
に汲々としている心理で
この章を考えないでください。

わからなければわからないで構いません。
あと三年したら皆さんは嫌でもわかるようになりますから、

「何を夢物語を言うとるんや!」
とでも思いながら
わからないままに読み飛ばしておいてください。

2008.4/28 解説
この原稿も平成9年の著作です。
当時は三年たったら崩壊するだろう、と踏んでいたのですが、
いやぁ、みんなしぶといしぶとい。
ま、今でも夢物語の様なもんですから、笑い飛ばしておいてください。
でも、こうにしかならないと思います。

4. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」

 しかし、今のシステムと決定的に違うのは、
総ての『農産物』を含めた財産には『私有』が認められず、
総てが『公共物』として『共有』財産となることです。

その『公共財』は
『今』必要な人に必要な間だけ『利用権』が認められ、
不要になったら次に必要な他人に
次々に『利用権』を渡してゆくことになります。

この場合の『渡す』という行為は
今の経済システムで言う『ギブ・アンド・テイク』ではありません。

「何か同等の価値のものと交換に譲渡する」ということではないのです。

強いて言えば「ギブ・アンド・ギブ」。

「要らへんねんから使こうてくれる人にあげたほうが、
このものが活きるやんか!
無駄に納し込むでるのんもったいないやん。」
というノリです。

 「財産の『私有』が認められず、総てが『公共物』となる」
というところだけ聞けば、
まるで戦時中の日本や北朝鮮、旧ソ連のような
「『共産主義』的『国家主義』」のように思えますが、

次の社会システムでは
『公共物』を管理するのは
『国家』や『都道府県』『市町村』などという
住民の手の届かない広域行政機関ではありません。

今で言う
ひとつの『集落』『部落(被差別部落という意味ではない、念のため)』
『隣保班』『町内会』『自治会』などという程度の
顔の見える住民の集まりで総てのものごとが決まることになります。

そうですね、
今でも地域の小さな神社やお寺のお祭りや朝市に、
その地域の方々が遊びに行きますよね。

そのようなノリで『集落』の運営が行なわれるとイメージしてください。

2008.4/28 解説
今の公務員の腐敗や、政治家の横暴や、司法の無法状態は
すべて、私たちが面倒な事や嫌なことを、「彼等に任せてしまった」
つまり、「依存した」ために引き起こされた当然の結果です。
私たちが「国会を傍聴」しなかったり、「なんでも役所に規制を求めたり」、
「刑事裁判を傍聴」しなかったり、無精したが結果、
彼らは自分たちに力があることを自覚し、私たちから「力」を吸い上げることを考えました。
そして、その「便利・簡単・気持ちいい」システムを作り
私どもは、自ら進んで「彼等に従属し」、「彼らの奴隷となり」、
「すすんで彼等に力を供給」し続けています。

私たちは、彼等に依存することにより
「彼等に力を供給し続けています。」

「お金詐欺」の「彼ら」や、小悪党の「彼ら」は
自らの力を強めるために、「依存させるシステム」を構築したのです。

「彼ら」は、私たちが「彼らのシステム」の中に居るから、存在できるのです。
だから、「彼ら」は、私たちが「彼らのシステム」に自発的にとどまりたいと思うように
飴と鞭を使います。

「彼ら」のシステムの中に居るまま、「彼ら」を非難したところで、
何の足しにもなりません。
その反発のエネルギーさえも、「彼ら」に吸い取られてしまうだけです。

「彼ら」が一番恐れることは、私どもが「彼らのシステム」から出て行くことです。
「彼ら」に「力」を与えているのは私たち一人一人です。
私たちが離脱すれば、「彼ら」は存在できなくなるのです。

3. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」


次はアウトになる
汚水生ゴミ糞尿処理、
可燃物不燃物の処理
の問題ですが、

汚水生ゴミ糞尿など
バクテリアやミミズ等により処理可能なものは、
総て自宅のコンポスターで土に戻し肥料とします。

また可燃物や不燃物も当初は完全に不足していますので
むやみに捨てることもできないはずです。

しかし、時間が経って冬の時代が過ぎ、
その『集落』が近くの『集落』との間で共同して
『工場』を起こすようになれば、
その製品は初めからリサイクル可能なものが造られることになります。

つまり、生活の中の
インもアウトも原則的には『自己完結』であり、
『自己完結』できない部分だけを
まず『集落』の中で『相互補完』し、
『集落』の中で『自己完結』できない分を
周りの『集落』との間で『相互補完』するという
今のシステムとはまったく逆のシステムとなります。

 さてこの『工場』も、
今のシステムのように、

借金をして工場を建てて、
大量生産大量販売して、
給料を払い借金を返しながら
利益を出すことを目的とせず、

必要なものを必要なだけ、
作業したいヤツが集まってロハで作ればいい
という考え方で運営されますので

『労働』という概念についての感覚が
まったく今とは違ってくるでしょう。

極端に言うと、『労働』と『遊び』の境界がなくなるのです。
これも『食』と『職』の分離があって初めて可能になるのことです。

2008.4/28 解説

実は、大量生産にいたった理由を「産業革命」から書こうとしたのですが、
もっと昔にさかのぼって説明せざるを得ないことがわかったので、
そのうち、改めて書きます。
今回は、本文だけということで・・・

2. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」



 さて、『農』は
生活の中でのインアウトで言えば
インにあたりますが、
もうひとつのインはもちろんエネルギー源です。

もちろんこの新しい社会システムが芽生え始めるのは、
皆さんが『未体験ゾーン』の地獄を生き延びた
疎開先の農村から始まるわけで、

その頃には主要産業はストップしており、
『行政』は崩壊、麻痺して
治安もどうなっているか判らないようなところで
初めて芽生え始めるわけですから、
電力、石油、ガスなどのライフ・ラインはないと思ってください。

太陽電池パネルがあればうれしいのですが、
ないところの方が多いかと思います。

このような状況でのエネルギー源としては、
アスファルト、古タイヤを完全燃焼させる炉の開発、
薪の復活、用水を利用した小水力発電や、
家畜の糞尿を利用したメタンガス、小風力発電、
朝○ソーラーなどの太陽熱温水器、
熱した空気の圧力でピストンを動かす外燃機関スターリング・エンジンなどが
考えられます。

結局自分で使う生活の中でのインは自分でまかなうということが、
一番エネルギー・ロスが少なくて、
またエネルギーのありがたみを実感できるので
無駄遣いをしなくて済み、
結局は大規模施設を造るそのためのエネルギー消費がいらなくなるので
建設用の天然資源の節約にもなるのです。

続く

2008.4.27
最近の注目は、ペレットストーブです。
間伐材や製材所から出た樹皮など、今まで捨てていたものを
ペレットにしたものを燃やすストーブです。
薪ストーブより燃料調達が簡易で、山の管理をするついでに
燃料ができる、というものです。

国産ペレットストーブの中でも

岩手県SUNPOT社 家庭用FFP‐471DFが燃焼効率が一番いいようです。
煙突がなく、FF式なので壁に排気ダクトを出す穴を開けるだけで設置できます。
http://www.lcv.ne.jp/~ciao7/stove/sunpot.html

ペレットを作る機械は、株式会社 土佐テック
ペレタイザー TS55
http://www.tosatech.com/


「廃棄プラゴミを3秒で灯油に買える技術」

 水を油に変える技術 波動エネルギーで新産業革命を起こせ!
水を油に変える技術 著者名:倉田大嗣
出版社名:日本能率協会マネジメントセンター
価格:1,890円(税込)

ご購入は、アマゾン等書籍通販で
検索注文されて下さい ■本の内容
つながりあう生命・こころ・宇宙。量子から銀河まで、無生物から人間まで、万物が示す驚くべき一貫性は何を意味しているのか。宇宙という概念はどのように生まれたのか。システム哲学者が提唱する、新たな世界観。

■目次
プロローグ 第1章 水が燃えた!
日本海漂着重油を灯油に転換する
なぜ漂着重油を処理したのか
資源有効利用の必要性 「奇跡を創る!」新しい科学に挑む
すでに水を燃やす発想はあった!
水の中にあるクリーンなエネルギー、水素を取り出す
水素に炭素を結合すれば油が生まれる
水からできた油は無公害
なぜ、この技術を認めようとしないのか
水を燃やす技術は日本の財産になる
第2章 波動エネルギーとの出会い 第3章 なぜプラスチックをゴミにするのか
コンピュータが導き出した人類の滅亡
このまま行けば、環境汚染で人類は奇形化し滅亡する
人類の危機を救うため、エネルギー問題に取り組む
波動エネルギーはクリーン
波動エネルギーとは何か
生あるものは波動エネルギーを受けて成長している
地球が回転するエネルギーの源は何か
有効利用されていない太陽から注がれる波動エネルギー
波動エネルギーが溢れると、巨大なものが生産できる 破棄プラスチックは悪魔の存在
廃プラ処理でゴミ焼却炉が壊れる
経済性と妥協の産物がゴミ問題を生じさせた
いまのゴミ処理は縄文時代と変わらない
焼却による廃プラ処理は恐いダイオキシン汚染をもたらす
プラスチック・ゴミは埋めて処理しても解決にはならない
遅れている廃プラのリサイクル
廃プラは科学処理すれば油としてリサイクルできる

第4章 資源の無限化を図る夢のリサイクル装置
第5章 リサイクル都市・安来市の実験
大企業も取り組み始めたプラスチック油化研究
熱分解法では混合油しかできない
倉田式では、どのように油にするか
試行錯誤の末、廃プラ油化還元装置を完成
熱分解法と倉田式では油が違う
熱分解法だけでは限界がある
熱分解法に波動=電磁共鳴方式を取り入れる
混合油を灯油に変える技術
熱処理ではなく波動で分子構造は変えられる
原点に戻り、新たな技術革新に挑戦
特許に対する考え方 なぜ波動=電磁波理論を学会で発表しないのか
ゴミの90%減を達成!
ゴミの不法投棄事件が安来市方式を生み出した
安来方式のゴミ処理法とは
ワラをも掴む思いで廃プラ油化還元装置を導入
ゴミ減量がもたらした、うれしい効果
市民の意識が変わってきた!
ゴミ処理は市民、行政、業者の連携プレーなしに成功しない
東京都が導入した半透明ポリ袋は効果があるのか
後手、後手になる東京都のゴミ処理の歴史
東京都が廃プラ油化還元装置を導入すればどうなる
第6章 常識を覆せ! 第7章 波動エネルギーが拓く新しい世界
科学は絶対であり、万能ではない
科学の常識は時代とともに変化する
二一世紀の科学は目に見えない部分が対象になる
先人の夢を見た道を歩む
わからないことを勉強するのが科学者の役割
現場から発想すれば、新たな発想が生まれる
追求と改良の精神が技術を磨く
なぜ大企業では新しい発想は生まれないのか 無限の可能性が秘めたエネルギーの世界
波動を使えば短期間でおいしい牛肉ができる
発芽して一ヵ月でできる“天井米”
超音波を利用したクリーンな洗濯機
永久エネルギーを探る
生命エネルギーを研究する
文明が進むと人類のライフスタイルも変わる
人類が地球に対してすべきこと
プラスチック文化を進めるにあたって
なかなか進展しない地球環境問題
地球環境を一八八八年の時点に復元する
これからの企業がやるべきこと
トリプZを進める
エピローグ
人類が繁栄するにはリサイクル抜きには考えられない
究極のリサイクルのすすめ
新たな一歩を踏み出す

書評より引用終り

理論的根拠
非線形電磁気学と波動科学
Nonlinear Electromagnetics and Wave Science
http://www.h6.dion.ne.jp/~rikagaku/

第132回国会 商工委員会、厚生委員会、農林水産委員会、環境委員会連合審査会 第1号
平成七年五月三十一日(水曜日)

・・・・・・・・・・・・・・・・・前略・・・・・・・・・・・・・・・

○橋本国務大臣 この法律案におきましては、基本的には容器包装の利用事業者が容器包装の選択、決定を行っているわけでありますし、また容器の製造事業者も技術的な側面から選択、決定をしておりますので、再商品化の義務を課したわけであります。したがいまして、ただ単に容器包装の素材を生産し、提供しているだけの素材メーカーというものは、再商品化義務者には含みませんでした。
 この法律案におきましては、再商品化の円滑な拡大を図るために、例えば現行再生資源利用促進法を活用し、再商品化されたものの利用が可能な事業者に対しまして、再商品化によって得られたものの利用の義務などを課す予定でありまして、素材メーカーなどもシステムの中では適切に役割を分担いたしております。
 また、今委員から御指摘のありました後段につきましては、技術開発等も含めまして、そのような御心配をいただかずに済むように努力をしてまいりたい、そのように考えております。
○石橋(大)委員 御承知のように、事前に討議過程で配付された資料などを見ると、三〇%の分別収集ができる段階、成熟段階で必要なコストは約一千億、そのうちプラスチック関係が九百億を超えていたと思います。そういう状況を考えると、素材メーカーを完全に免責するということは非常に問題があるのではないかと私は思っておりますので、ぜひひとつ後々御検討いただきたい、こう思います。
 次に、プラスチック製容器包装廃棄物の処理について伺っておきたいと思うのであります。
 再商品化義務履行に要する費用の見通し、さっき言いましたが、全体合計千五十一億円のうち九百四十二億円をプラスチック関係が占めているわけであります。
 そこで、容器包装のすべてについて同時実施か段階的実施かこれも省庁間で一つの大きな争点になったところでありますが、最終的には段階的実施に落ちついた、こういうことであります。なぜ段階的実施になったか、こういうことについて、理由を仄聞するところによりますと、プラスチックの処理についてまだ完全な処理技術が確立していない、こういうところに最大の理由があるようであります。これは間違っているかもしれませんが、もしそうでなかったら訂正していただければと思うのですけれども、そういうふうに私は仄聞しているわけであります。
 ところで、私の出身地は島根県の安来市でありますが、この市では、人口三万余の小さい市ですけれども、平成三年十一月から分別収集を実施して、プラスチック、ビニール、ナイロン、ポリ容器、発泡スチロールトレーなど石油製品を分別収集し、それを民間業者へリサイクル処理委託をして、灯油に還元をして、非常に大きな成果を上げているわけであります。既に満四年近くの実績を持っているわけでありますが、結果、従来埋立処理をしていた廃棄物の九割減に成功した、こういう結果が報告されているわけであります。九割減ったら、これは大変なことです。
 このプラスチック類の油化還元装置は、兵庫県芦屋市にある日本理化学研究所の倉田大嗣という人が開発したものでありまして、

倉田式廃プラスチック油化還元装置、

こういうふうに言われているわけであります。このプラントは松江市の上幹総業という廃棄物処理業者の工場内に設置をされておりまして、プラスチックの破砕、投入、油化還元がすべてオートメーションで行われ、一回に約五十キログラムの三センチ角以下に破砕されたプラスチックごみがホッパーに投入される。五分で五十キログラムのプラスチック処理をしているそうでありますから、一時間で六百キログラム、八時間稼働させて一日に約五トンの廃プラスチック処理が可能だ、こういうことであります。
 さっき言いましたように、安来市は人口三万三千人ぐらいの小さな町でありますが、分別収集は、一つは鉄、金属類、二つに瓶、ガラス類、三つ目にビニール、プラスチック類、四つ目にその他の埋立ごみ、埋立ごみは例えて言うとコンクリートの破片などのようですが、こういう四つに分けて分別収集をしているわけであります。問題のプラスチックは、各家庭で洗った上で透明な袋に詰めて月一回収集する、こういうことでそう問題がないようであります。
 さっき言ったように、量的には今まで埋め立てで処理しておったごみを九割減らした。経費的にどうかといいますと、廃プラスチック油化還元装置による処理費は、一立方メートル当たり三千五百円、埋立ごみ処理経費、これは処理工場の総工費も含めていますが、一立方メートル当たり一万八千円、こういうことですから五分の一以下の経費節減になっている、こういうふうに言ってよかろうと思うのです。
 こういう実態を見ると、素人ですから余り専門的なことはわかりませんが、プラスチックの処理についてはほぼ技術的に完成をされている段階ではなかろうかと思いますけれども、ここら辺について、専門家の意見はどうでしょうか。
○齊藤政府委員 お答えいたします。
 プラスチックの油化につきましては、いろいろな試みがなされております。そういう中で、今先生がおっしゃいました安来市が使っております油化還元設備につきましては私ども必ずしも十分に
知っているわけじゃございませんが、一般的に申しますと、分別回収といいましても、プラスチックの種類ごとに分けるわけじゃございません。PETボトルを別にいたしまして、その他のプラスチックを分けるということでございます。それが第一点でございます。
 それから第二点は、これはいわゆる分別して出していただくときの状況とも関係するわけでございますが、かなり異物がまじってくるというのが通常でございます。例えば私どもも支援してまいりました桶川での実験というのは、何年もやってきたわけでございますが、その場合には、二、三〇%いろいろなものがまじってきたりということで、手を使ったりしまして異物を取ったりというようなこともやってきた例がございます。
 そういうことで、私どもが比較的知っております桶川の実験の例で申しますと、油化します際に、炭素、カーボンが機械にひっついてまいりましたり、あるいはそういう不純物がまじったりする関係もございまして、連続運転がなかなか難しかったりというようなことがございます。そういうことで、小さなプラントでございますから、必然的に処理コストというのも高いわけでございます。
 その中で、私どもは今、プラスチックの技術のより高度化、より安いコストでもって処理できるようにしようというような技術開発を考えております。そういうような技術開発をやるための準備期間というのはどうしても必要だということで、今回の場合は、PETボトルを除きまして、その他のプラスチックというのは若干おくらせていただいたという次第でございます。
 ですから、物理的に見ますと、先ほど先生がおっしゃいましたような例があるわけでございます。さらに、産業廃棄物から出てまいります比較的組成が統一されているようなものといいますのは、また処理が非常に簡単だというようなこともございます。
 そういう技術的なことを背景といたしまして、さらに再資源化を進めます際には、いわゆる油化設備の整備というのが必要になってまいります。ですから、さらにそのための時間も必要だということでございますが、若干時間をいただくことによりまして、より経済的なリサイクルの仕組みというのが構築できるだろうと考えております。

引用終り

1. 「初めは少し恐いけど、嬉し恥ずかし初体験。」


新しい社会システムは、何度も言いますように
『農』を中心にした
家族、または擬似家族が
ひとつの単位になります。

そして、ひとつの家庭が四人家族としたら、
四人が一年、最低限食べてゆけるだけの約一反五畝の農地と
家がひとつの『住』と単位となります。

この一反五畝の面積は
エンジン付き農機具を使わなくても
四人の人力だけで楽に耕作ができる最大の面積です。

この農地で、その風土にあった主食作物を栽培することにより、
お一人おひとりの最低限の『食』が保証されるので、
『食べるために職を求める』ことは不要となります。

米が好きなら米の作りやすい土地に住めばよろしいし、
麦でいいのなら麦ができるところ、
芋でいいのなら芋のできるところに住めばよいのです。

つまり贅沢を考えなければ
好きなことをして生きる基礎があるわけです。

続く

2008.4.27 注、今の既成概念とかけ離れているので、少しずつupします。
         既成概念では、食職の分業が当たり前になってしまっているのですが、
         これが、「奴隷化」マジックのネタのひとつでした。
         そして「農」を、農業という名の「商業」に換骨奪胎してしまったので
         「農業では食っていけない。」という台詞になってしまいました。
         食べるものを作る農業で「食っていけない」のを、誰も不思議と思わない。
         これこそ農業が「食」ではなくなった証拠じゃないですか(笑)
         このマジックの前提には、「お金詐欺」があります。
         「お金」なんぞというものは、「現物」や「行為」の「交換手段」に過ぎません。
         「現物」や「行為」が「主」、「交換手段」は「従」。
         「お金」なんぞは「現物」や「行為」の前には、頭が上がらないのがマトモです。
         それが既成概念では、「お金」が「現物」や「行為」を支配しています。
         この倒錯を「変だぞ?」と思わないのは、
         某超有名海外ファッションブランドの、あの「シンボリックな柄」が、
         女性器そのものである、と見ても見えないほどに、
         私たちの頭は洗脳されているのです(笑)
         見せびらかして歩いている「あれ」より、
         「現物」のほうに価値があると思いませんか(笑)
         あれ、何を書いてるのかな・・・今はサブリミナルじゃなかった。
         交換手段としての「お金」の役割は、
         「欲しい現物」や「欲しい行為」を手に入れる
         という
         「目的」に対する、ひとつの「手段」に過ぎません。
         「お金」という交換手段以外にも、いくらでも選択肢があったし、
         今でもあるはずなのですが、
         それらの選択肢を、
         システムとして禁止したり、
         考え付かないように「教育」したり
         したので、皆さんは「お金がすべて」と思ってしまっているわけです。
         詐欺のコツは、カモの選択肢を 「だんだん少なくしていって」
         「詐欺の仕掛け」しか選択肢がない!とカモに思わせることです。
         「農業がたいへんだ!」というのは、
         それが商業であって「お金」詐欺に引っかかっていることと
         「お金」詐欺に引っかかっているから、
         自分たちが食べる以上の生産をしなければならない、ようになり
         自分たちの「行為=労力」を超えた「労働量」を選択したからです。
         自分たちの労力を超えた労働量ですから、機械や使用人が必要になります。
         そして機械や使用人に支払う「お金」が必要になります。
         そしてその「お金」を稼ぐために、みごとに「お金」詐欺に引っかかります。
         さて、一反五畝の農地を実際に眺めると、
         「えぇ!これを自分で耕すの!」
         と思うのが当たり前です。
         なんといっても一反は約1000平方メートル、
10a(アール)、約300坪、一辺33mの正方形
         { 注、2008.4/28.0:28 こうちゃん様のご指摘により訂正  }
         いや、これを鍬で耕すのは重労働です。
         だから機械が必要、機械を買うのに「お金」が必要、
         「お金」詐欺の手口です。
         じつは、耕さなくてもいいのです。
         毎年飽きもせず、アスファルトの隙間に生えた「ど根性大根」を
         テレビが取り上げています。
         あれを使うのですよ。
         普通雑草は冬は枯れて、春から生えてきます。
         だから春には雑草との戦いになってしまうので、除草剤や機械が・・・
         危ない危ない、また「お金」詐欺に引っかかるところでした(笑)
         まず、秋に大根やニンジンなどの種を土団子にして撒いておきます。
         白菜なんかやキャベツなどももちろんOKですが、今回は「耕す」ことが
         目的なので、地中深く入っていく大根などがいいですね。
         すると春になると、大根が生えています。
         大根が繁っていると、土は陰になるので、雑草が生えてくるのが遅れます。
         そして大根を全部収穫・・・おいおい、そんなに一人で食べれんでしょう?
         いや、あんまりできたから売って小金に・・・危ない、危ない、
         今回の大根君の「目的」は、畑を耕すことです。
         食べる分だけ引き抜いて、あとは腐らかしてしまいましょう。
         もったいない?なにをおっしゃいます!
         大根君が固い土にもぐりこんで、大根になって、
         それが腐ったら穴が開くでしょう?
         その穴の中に腐った大根が肥料として入るのですよ?
         これを人力や機械でやったらどれだけの経費がかかるか!
         耕した上に肥料までタダでいただけるのです。
         こうして土を作っていくのですが、詳しくはまた次の機会に。
         もうひとつは、日本人は、特に百姓は「土地に執着」します。
         先祖伝来の土地とか、といって動きたがりません。
         これが農村の疲弊を招きました。
         別にどこに住んでもいいのですよ?
         毎年移住してもいいのですよ?
         誰が、定住しなければならないと決めたのですか?
         子供が田地田畑を継がなきゃならないなんて誰が決めたの?
         土地が不動産ではなく、流動資産になればいいんでしょ?
         だから子供がパンが好きなら、成人したら
         小麦の適産地に住めばいいのです。
         
         あれだけの本文を解説するのは大変だぁ・・・!    

終.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

                    今までのあなた方は。

 5.

今までにまとめてきました、1~4までの要点を列挙しますと

「今起こりつつある現象には、『善いことしかない』」、

「今起こりつつある現象には、『偶然などない』」、

「みなさんの周りには、『自分の所有物などない』」、

「みなさんに与えられたものは、『今ここしかない』」

でしたね。

 今まで皆さんは、

自分のご都合に悪いことを『悪し』と言い、

ご自分の責任を回避するために『偶然』と言い、

自然のものを盗んで『自分の物』と言い、

盗んだものを守るために『取り越し苦労』に、

盗まれたものを惜しむために『過ぎ越し苦労』に

生きてきたのです。

 そして皆さんの、ご都合の悪いことの責任は総て他人に押しつけ、
ご自身は『被害者』を気取っておいでになりました。

「『被害者』を気取る」
ことは、

自らの
『弱さ』を『偽りの強さ』に逆転する
魔法の呪文です。

一度この味を覚えると、
やめられなくなるほどおいしい方法なのです。


              もう「他人まかせ」は通じない。

 でももう一度、1~4までの内容を読み返してみてください。
本当は『被害者』など存在しないのです。

総ては自分の責任なのです。
それどころか御自身が自らに、
そして自然に対する『加害者』なのです。

 自分が『加害者』であるかも知れない、といつも考え、

「自分の行動の結果は自分でケリをつける」、

「自分の間違いを素直に受け入れる」

ということができる人が
本当の意味で『強い』のです。

「御自分が『被害者』である」

と思っている間は何も変わりません。

逆に変わるということは恐いことですから。

 「『偽りの強さ』を捨てて、ありのままの自分に戻る」

ということは

『被害者』意識の甘い蜜の味を覚えた人には
耐えがたいことなのです。

『被害者』意識は、まるで麻薬のようなものなのです。

他人から、『被害者』扱いをしつづけてもらうためには、
いつまでも『弱さ』を見せていなければなりません。

言葉を変えると
「いつでも『他人の目』を気にしながら生きる」
と言うことです。

                   
                  あなたの『想い』が不幸を創る。

 『想い』は現象を創ります。
周りの人が、あなたをかわいそうな『被害者』と
認めれば認めるほど、

あなたはどんどん他人のリクエストにお応えして、

もっと惨めな『被害者』を演じる

ことになってゆくのです。

そしてそのうち、無責任な不特定多数の他人の人々は
『被害者』であるあなたの存在に飽きて、
興味を失って去って行きます。

そのような他人の目を引くために
『被害者』であるあなたは

「さらに惨めな『被害者』」

を演じるパフォーマンスをせざるを得ず、
認めてもらえない「恨みと後悔」の中に生きるようになってゆくのです。

これが不幸意外のなんでしょうか?

 もしこの本をお読みになっている方の中で、
すでに『被害者』意識に浸っている方がおられましたら、
まず考えを変えてください。

あなたは本当は『加害者』なのだと自覚してください。


                   被害者なんていない。

 しかし他人があなたを、『被害者』、に観てくれているその状況は
あなたに『今ここに』『貸し与えられた』最高の条件なのですから、
その状況は利用すべきです。

だから悪びれもせず、早く自ら進んで、
まず自分は

「『被害者』を演じているだけなんだ」

と開き直って
『被害者』をやってください。

 いいですか、
心の内では恥ずかしながら
『被害者』をする
んですよ。

そして『被害者』であることを最大限に言い訳にして、
まず嫌なことをやめ、好きなことをどんどんやることです。

そして他人があなたにあきれて
『被害者』扱いをしなくなったとき、
さらりと『被害者』をやめてください。

『被害者』であるという立場に依存しなければ
もうそれでいいのです。

もう一度言います。

『被害者などいない』。


                        歩み続けてほしい。

 この1~5が
これから皆さんが新しい社会システムに向けて
歩まれて行く上での
思考、行動の指針になるはずです。

これから私どもが進んで行く

『未体験ゾーン』

の向こうでは、
何度も言いましたように

『農』を生活の中心に据えた新しい社会システム

がみなさんの誕生を待っています。

 しかし、このシステムは、
単に「『農』をすればいい」というだけのものではないのです。

みなさんが今の

「お金中心の社会システム」

の中で、洗脳されてきた社会常識のおかしさに気づいて、

今の社会への物質的、精神的な依存を断ち切って、

最小限のイ2ショク2ジュウ2(衣・医、食・職、住・銃)を

確立する勇気を持って行動に結んでいただくこと、

先に述べた1~5までのことに御理解いただき、

自らの『欲』と『見栄』と『保身』を手放していただくこと。

これらが新しい社会システムの基礎条件になります。


                        やった者勝ち!

 どっちみち、『未体験ゾーン』は、
みなさんお一人おひとりを、
今まで言ったようなように
強制的、そして暴力的に、脱洗脳してゆきますので、
判りたくない方は、今まで通りにがんばっていただいても結構です。

いくらがんばってみても、
そのうちに変わらざるを得なくなることをお約束いたします。

 どうせ変わらざるを得なくなるのなら、
追いつめられて変わるよりも、
『今ここ』に
みずから変わるほうが少しは楽と言うものです。

 この本を読んで、
お一人でも多くの方が、

初めの一歩

を歩み出していただけること、を願ってやみません。

2008.4/27 最後まで読んでいただきありがとうございました。
       次は「未体験ゾーン」のあとの社会の予想の形のホンの一部
       ( これは違う形になるかもしれません。 )を書いてみます。
       いままでの将来予測よりも想像するのがとても難しいし、
       今の常識から見れば、「ンなことあるわけないやん!」
       という、きれいごとに思われるかもしれません。
       次の原稿の途中で、前の病院が潰れたので、次は未完原稿です。
       

   

12.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

わからぬことは不安だけれど。

4.

今まで、何度も何度も、手を変え品を変え、
同じ内容を繰り返してここまでやってきました。

もうさすがに読者の皆さんにも、
河井が何が言いたかったのか、お判りになっていただいていることと思います。

もう今の社会システムを手放し、
新しい価値観に基づいた生活システムへ、
お一人おひとりが、一歩ずつでも歩み始めなければならない時節が来た、のです。

 何度でも言いますが、
私たちはこれから、否もうすでに
『未体験ゾーン』に突入しているです。

でも、皆さんは未知のことに対する恐れがあります。
何事についても、初体験は不安で恐くて緊張するものです。


                   準備と鎧で動けない!

 だからその不安を少しでも紛らわすために、
今までの経験を基に将来を予測し、
その予測に基づいて、自らのリスクを少しでも少なくするように
十重二十重に準備をするのです。

しかし、十分な準備は時間がかかり、
その間にも私たちを取り巻く状況は、
刻一刻と、さらにシビアな状況へと突き進んで行きます。

 そして皆さんはそのシビアな状況を見て、
さらに不安が強くなり
さらに準備を重ねるという悪循環に陥り、
ついには十重二十重、百千万の準備手段という
鎧の重さに足をとられて歩けなくなってしまいます。


                 でも誰にもわからない。

 今回の社会システムの崩壊は、
戦後を含めて今までに、誰も経験したことのない急激な大変化です。
それゆえに、今までの知識や経験は一部は役立つかも知れませんが、
皆さんの予測を軽く上回り、
常識に長けて頭の良い人ほど予測が外れて、
自失呆然のパニック状態になるくらいの大変化です。

 最終的には、少なくとも日本に住んでいる皆さんは、
この二年から三年のうちに、
嫌でも新しい社会システムを選ばざるを得なくなります。

 その根拠は今までお話してきたことで、
今までの『常識』に囚われず、
自分の意見はまず横において、
どこの馬の骨の話でも、聞くだけ聞いてみてやろうという、
心に余裕のある方には、ある程度判ってもらえただろうと信じます。

もう理屈をいっているときではありません。
空理空論、机上の空論に使う時間は残されていないのです。


               だから「今ここ」を大切に。

 私どもが動かせる世界は、
この無限に広くて永い、時間と空間のうちの

『今ここ』

という一点に過ぎません。

それも、自らの想いを形に現わすことができるのは、
自らの頭の働き、身体の動きを通じてでしかないのです。

自らが動かず、他人を動かすことはできません。
他人が何とかしてくれるだろう、というのは
単なる希望的観測という、夢幻に耽る現実逃避でしかなく、
甘えの極致であり、論外です。

 過去の栄光に浸ることも自由です。
過去の後悔にさいなまれることも自由です。
希望的観測という、幻の未来を夢見るのも自由、
未来への不安に怯えおののくのも、これまた自由です。

しかしそのようなことをしている間にも、
私どもを乗せた日本は

『未体験ゾーン』

を突き進んでゆくのです。

「過ぎ越し苦労」

「取り越し苦労」

時間の無駄でしかありません。
 
今私どもがしなければならないのは、
今までの社会システムに対する依存を、
ひとつひとつ、不便と痛みを伴いながら
手放してゆくという
『つけ払い』をしながら、

『農』を中心に据えた、新しい社会システムに
近づいて行くことしか残されていないのです。

『今ここ』

に動くしかないのです。

続く

11.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

 3.

今とくに、都会に住むあなた方は、

有り余る工業製品の中に住み、
スーパーや食料品店で、日々の食糧を金で買い、
当たり前のようにエレベーターを使わなければ、
とても上がり下りできないような高層ビルに住み、
蛇口をひねれば、当たり前のように水が出て、
エアコンがなければ過ごせないような、
風通しの悪い部屋に住んでいます。
そして当たり前のように、空気を吸って生きているのです。

                   さて問題です。

このあなたの周りの物の中で、
あなたが一から作り出したものは、いくつありますか?
総ては企業が作ったものを、金で買っただけのものです。

そしてその企業でも、
いろんな素材メーカーから原料や部品を買って、
組み立てて作ったわけです。

食べ物は、食糧商社が海外から買ってきたものです。

工業原料も、やはり商社が海外から買ってきたものです。


                  みんな泥棒でしょう?

 じゃあ、その工業原料や食糧は、誰が作ったのか?

結局は、何もかも総てのものは
自然から人間が盗んできたものでしょう?

自然が長い間かけて作ったものを、
人間が見つけて盗ってきただけなのです。

人間は単に加工しただけで、
無から有を創ることはできないのです。

皆さんが

「これは自分のもの!」

と所有権を主張している物は、
とどのつまりは自然のものです。

自然が所有権を主張しないのをいいことに、
人間が勝手に盗んで知らん顔しているのです。

 「天然資源が枯渇するから自然保護をしなければならない」

というのは

「盗みすぎたからもう盗るものがなくなった。
だから国民の豊かさを守るため盗む分量を減らさなければならない」

ということなのです。

盗人猛々しいとはこのことです。

今、私どもがしなければならないことは、
自然に対して、

「あなたがせっかく創ってくれたものを、
私たちは何も創れないくせに
つまらぬお手軽便利な生活のために
無駄に使ってしまいました。
身の程知らずでごめんなさい。」

と謝ることであり、
「こんな愚かな私たちのために、
今まで惜しみなく
鉱物資源や食糧資源、太陽の熱や光、水、空気まで
使わせていただいてありがとうございました。」

と感謝することだと河井は思います。

                「自分のもの」なんてない。

 そして

「これからは、身の程を知り、
 決して『自分のもの』などと思い上がらず、
 総ての物は一時の借りものであることをよく自覚し、
 もったいないようなまねはせず、
 自分で使えないもの使わないものは
 使っていただける人やところ、使ってくれる他の生き物たちに
 譲って差し上げる」

事を心がける必要がある、とも思います。

 もう一度言います。

『自分の所有物(もの)など何もない』。


続く

10.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)


2.

そして
今起こってきている、大変に見える社会現象は、
そして
これから起こってくる、もっと悲惨な社会現象は、

その総てが
「人間の作り出した」システムが
自己矛盾のために自壊することだ
と言いました。

ではこの
「人間が作り出した」
という意味は、具体的にはどういうことなのか?

「人間」とは、
具体的に誰のことを指しているのか判りますか?

確かに、今に生きている私どもは、
意識して、直接に、この社会システムを作ったわけではありません。

それどころか、
産まれたときからすでに
この社会システムの中に組み込まれていたんだ
と思うかも知れません。

でももう一度よく考えてください。

この社会システムが、このように発展したということは、

 「この社会システムを必要とした人があって、
 そして、今も(必要が)あることの結果である」
ということなのです。

では誰が、必要としたのでしょう?

当然、この社会システムが発展している地域に
住んでいる人が必要としたから、
その地域がそのような社会発達をしたわけでしょう?

例えば、東京では
毎日の通勤電車が、格闘場にならざるを得ないのは、
東京の周りに住んでいる大勢の人が、
同じ時間帯に
都心方面への電車を必要としているから
あんな惨状になるわけでしょう?

原子力発電所がどんどん建つのは、
みなさんが、夏の暑いときに
一度にたくさんのクーラーをガンガンに効かせたり、
やたらに電気を使うようなライフ・スタイルを選んだからでしょう?

総会屋が存在するのは、
企業が株主に知られたくないことを
株主総会で明らかにされたくないからでしょう?

だって本来
「会社は出資者である株主のものだ。」
と商法で詠っているわけだから、

「株主に正確な企業の経理内容や企業の不正を株主総会で開き知ら示す」

という総会屋の企業恐喝行為こそ、
株主が本来自ら自発的に行なうべき権利であるはずなのです。

株主が、会社に対する自らの権利を使わないから、
そして会社が、自らの株主に対する義務を行ないたくないから、
だから、総会屋が存在し続けることができるのでしょう?

あなた方には自由に考え
そしてその考えを行動に写す自由が
認められているわけですから、

あなた方の総ての行動は、
あなた方自身が、
そのつど数ある選択肢の中から
チョイスしているわけです。

例えば交通事故にあったとする。
そしてその事故で、あなたは100%被害者であったとしましょう。

でも、
その時、その場所を通るという選択肢を
チョイスしていなければ
事故には遭わなかったはずです。

病気でも同じです。
身体に無理をかけすぎたとき、
身体が、自己崩壊して死なないために、
身体が、あなたを強制的に休ませる仕組みが病気ですから、
逆に言うと、病気になったということは
あなたが、身体に無理をかけたということなのです。

このように、今現れている現象が、(消滅せず)存在し続けているということは、
その存在を願う、たくさんの意志があるということです。

そしてその意志は、
あなた方が、
自らの自由を使って
自らの行為を選択した
結果なのです。

このように、
総ての現象には、
その現象が起こらなければならなかった原因があります。

原因のない結果など存在しません。

そして、その『原因』たるものはは、
あなた方一人一人が何かを願う気持ちなのです。

『願望は実現する』
ということを謳い文句にしている宗教もどきがありますが、
それはあながち間違えているわけではない。

しかし
「あなたの願望の実現を支えるために、あなたの望まないものが出現する」
こともまた事実です。

誰も、原子力発電所を望んだわけてはないのですが、
電気をたくさん使う
お手軽で便利な生活を願ったから、
その結果として原子力発電所ができたのです。

このように世の中の現象は総てが必然です。

偶然に起こるなんて事はありません。

ですから、

あなたの身の回りに起こる総ての「現象」は、あなたの責任であり、

それは、あなたの次の行動に対する「大切なヒント」でもあるのです。

続く

9.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

今までの内容をまとめてみましょう。

1.
  今起こってきている大変に見える社会現象は、

そしてこれから起こってくる、もっと悲惨な社会現象は、

  人が自然の循環の仕組みから離れて、

  その小賢しい知恵で作り上げた、不自然な社会システムが

  その不自然さに耐えきれず、自己崩壊を始めたということです。


元もと不自然であったものが、自然に戻るプロセスですなので、

自然の基本である

「総てのものが循環し、自然全体にとって無駄なことはなく、
 総てが再使用され再生産につながる自然の循環システム」

が判っているものの立場から見れば、
これらの社会現象は、
次の社会システムの誕生のための
『ありがたい』事なのですが、

今までの

 「人間だけの都合を考え、
 人間に都合がいいことを『善』
 都合の悪いことを『悪』
 として発展した」

この社会システムの社会常識に、取り込まれた(洗脳された)立場から見れば、

「何とかしなければいけない危機的状況」

ですので、『悪い』事、に見えます。

しかし、いったん人間の都合、
もっと言えば
『あなたの御都合主義』
を離れてみれば、

今起こっている、そして
これから起こる、総ての社会現象は
『善きこと』、なのです。

自然の復讐、などと言う人がいますが、
自然は、復讐などというケチ臭いことはしません。

人間がみずから作り、
後先を考えずに増築を重ねた建物が、
その自重に耐え切れず、
そして耐用年数が過ぎたため、
崩れていくだけのことです。

『バベルの塔』は、神が壊すのではありません。
自らの重さに耐え切れず、自壊するのです。

そう、総ての現象は
「あなたのご都合に関わらず」
総てが、『善きこと』、なのです。

だから何が起こっても
動揺することなく、
不安におののくことなく、
笑って観ていてください。

もしあなたが、『苦しい』、と感じることがあれば、
それは、あなたが今の社会システムに、依存している物事が
切られてゆくときです。

この『苦しさ』は、臍の緒が切られる苦痛と恐怖ですが、
同時に、生まれ出ずる瞬間でもあるのです。

まずこのことを御理解下さい。


続く

8.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

人間は業な生き物です。
なかなか自ら、進んで変わることはできません。

特に自らが、

見栄のため
欲のため
保身のために

一番大切に思っていることに、なればなるほど
なかなか、捨てれるものではありません。

でも、今回の一連の社会システムの
制度疲労による崩壊によって、

見栄、欲、保身

を支えていた、土台が崩れてゆきます。

今までの、
あなた自らが大切に思っていたものは
そのうち意味を失い、
何の値打ちもなくなります。

そして、
空気、水、太陽の光、
健康な身体、土、
食べ物、住むところ、
助け合える他人の存在、

そして、それらを与えてくれている
元のもとの、自然のありがたみに、気づいてゆくことになります。

そうです、
今まで当たり前と思っていて、
気にもとめなかった、
存在さえ忘れていたものに。

この、混乱の時代を生き残った人が
そのことに気づいてゆくのは、

外国から見て

「あの日本は今度こそ完全に消滅してしまった、再起不能である。」

と思われたときになるでしょう。

このたびの制度崩壊は、前にも申しましたように、

たとえて言えば十月十日、

胎児の成長を支え発育させてきた
酸素と栄養分を支える唯一のライフ・ラインである
臍の緒と胎盤が老化し、その機能がなくなるために
胎児が酸素欠乏で苦しくなり、

今まで、快適に暮らしてきた子宮の羊水のプールから、
見知らぬ外界に誕生することを選ぶようなものです。

出産誕生という仕組みは、
臍の緒と胎盤が崩壊しなければ起こらないのです。

今の医学の最先端では、
出産のタイミングは
胎児が母体に指示するそうです。

出産は、母体も痛いのですが
胎児にとっては、生死を分けるほど苦しいことです。

しかし、酸欠になると
胎児は呼吸ができなくなって死んでしまいます。

だから背に腹は代えられず、
苦しい出産を自ら選び、
母体に働きかけて出産を起こすのです。

臍の緒と胎盤の老化を遅らせれば
胎児が成長しすぎ、当然難産になります。

難産になると、
胎児が死亡したり、脳性麻痺になったりする率が高くなります。
当然のことです。

それなのに、今皆さんが、

今の社会経済システムを守ろう、
崩壊を食い止めようと努力しているのは、

臍の緒と胎盤の老化を、遅らせることと同じことである

ということに、なぜお気づきにならないのでしょう。

むしろ、少し息が苦しくなってきた今こそ、
自ら一時の苦しさに耐えて、出産を選ぶときなのです。

具体的に言えば、
今までの暮らし、
社会生活パターン、
考え方を
変えることです。

そしてそれは難しいことです。

でも考えを変えることには、金は要りません。

この社会システムへの過剰な依存心を、徐々に少なくして、
それを、少しずつ行動に現わしてゆくだけなのでいいのです。

東京バブルがはじける前に、
このような社会生活パターンを変えることを主張し
また実践した方々が何人もおいでになります。

しかし、頭がバブルで浮かれた皆さん方は
変人、気違いあつかいをして、軽蔑しました。

まだ機が熟していなかったからです。

やはり天才と称される人々は、世間より数歩先を観て、
しかも、自ら行ないに現わす方々だと思います。

世間がようよう認めるのは、
半歩先を行く者に対してが、せいぜいなのでしょう。

ちょうど早産した未熟児にとっては、
おのれが身体の適応が完全ではないために、
産まれ落ちた環境が過酷に感じるように。

でも、あれからもうすぐ十年、十月十日たったのです。

これ以上現状に留まろうとすることは、難産を意味します。

気がついた方から

『天給自足』
『与えるが先』
『相互補完』

を礎にした
『農』を中心にした社会システムに
一歩ずつ進んでください。

こればっかりは、皆さんもれなくあたるクジではありますが、
楽に歩むには早い者勝ちなのです。

確かに初めは不便で苦しくて、
今までの
『便利』『簡単』『気持ち良い』の生活に戻りたい
と思うことも多々あると思います。

でもそのうちに、今までの生活がいかに
『見栄』と『欲』と『保身』でガンジガラメになって、
いかに不自由な暮らしであったかを、実感できる時がまいります。

いくら頭で考えていても、人間というものは業な生き物、
体験したことしか判りません。

考えて考えて、
石橋を叩いても恐くて渡れないようでは
これから起こる、混乱の時代を生き抜くことは不可能です。

しょせん頭で考えることなど、過去の経験の蓄積でしかありません。

これから日本で起こることは、
歴史上初めて、
世界で初めて起こる
できごとなのです。

だいたい今の日本の特徴である、

管理の行き届いた社会制度や
完備されたインフラ、
物質的金銭的な豊かさと

その一方での
精神の幼児化、
規範の崩壊によるアノミー状態などが
一体として存在したことなどは、過去の歴史には例がありません。

その世界史上例を見ない国が、
今自らの制度疲労によって、自壊しようとしているのです。

『我々は未体験ゾーンに突入する』

というのはこういうことなのです。

河井は平成九年の二月、
講習を受けてスキューバ・ダイビングの免許をとることができました。

その実地講習の中で、インストラクターの先生が
「水の中でパニックになったときの対処法」
を教えてくださいました。

それはこういうものです。

 『判らなくなったら、今やっていることをまずやめる。
 すぐには溺れることはないから、気を落ち着けて最初に戻って考えてみる。』

これだけです、そしてこれしかないのです。

もし今の社会制度が壊れてパニックになったら、
それでもすぐに死ぬことはないから、
今あがいていることをまずやめてみて、

落ち着いて

『人が生きるためには何が必要なのか?
大事な順に優先順位をつけてみて、
その順番に動いてみること』

しかないのです。

続く

7.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

では、田舎なら安全なのかといいますと、
それもそんなに単純には行かない。

都会よりもマシとはいえ、
今農協に借金していない農家など、ほとんどありません。

つまり、都会のライフ・ラインが破綻する前に、
経済破綻は農家を襲います。

平成9年10月、第五十回農協全国大会の中で

 「一昨年昨年そして今年と
 『豊作が続いたおかげで』米の相場が下がり、
 農家の収入が減り続けている。
 これ以上の米の市場価格の低下が進むなら、
 低下分の一部を政府に補填してもらう必要がある。」

という政府に向けてのアピールが出されました。

これは、農家から出された意見と思ってはいけません。

実は、農協に対する農家の借金は、
農協が農家から集めて出荷した、
毎年の米の代金と相殺されてしまいます。

だから、米の売り上げ代金は
農家にはほとんど手渡されていません。

つまりバブルに深入りしたり、経営戦略をよみちがえ
農家に莫大な赤字を追わせた、借金漬かりの農協が、
唯一確実な借金返済である、米価格が下がったため、
断末魔の悲鳴を上げた、と解釈すべきでしょう。

今年平成9年の、米の相場は確実に暴落します。

来年平成10年の春、農家は馬鹿らしくて作付面積を減らすでしょう。

いくら米を作っても、

農協への支払い、
農機具のローン、
農薬代、
肥料代、
軽油代、
水利費、
土地改良事業のローン

などの現金支出などで
すでにほとんど儲けにならない米なのに、
今年さらに相場が下がれば、原価割れをする産地が出ますからね。

今百姓の現金収入は、

『野菜作り』『花作り』で成功をおさめた極々わずかの農家を除き、

第二種兼業の、給料や冬場の土建業の日雇い収入なのです。

当然、景気の悪化はローカル都市にも波及します。

失業や給料の減収は、避けることはできません。

今の農家の考え方は、
『自分の食べる分だけ作れればいい。』
なのですよ。

『もし金が入らんかっても食べていけさえすればいい。』

こうなると困るのは、貸した金が返ってこなくなる農協なのです。

農協自体が借金漬けになっているのに、
貸した先の農家から金が入らない。

農協は破産の危機を迎えています。

そして農協自体が、構成農家による無限責任制度である、という恐ろしい事実。

今農協は、返済が滞っている農家に対して、
農業をやめて街に働きに出て、
現金収入を得て借金を返済するように、
またその親族を呼びつけて
本人に代わって返済するように強く迫ったりしている
という話を聞きます。

このような、違法すれすれの行為をおこなっているのは、
だいたいが
『県信連(県農協信用連合会)』
の債権回収のプロで、
ヤクザ顔負けの脅しをかけるそうです。

そしてあまりの激しい回収方法に耐えれず、
追いつめられ自殺する百姓もあります。

このような農協の態度に対して心ある百姓は

「百姓あっての農協なのに、
まるでタコが自分の足を喰うとるようなものだ。
そのうち自分たちに必ずはねかえってくる」

と語ります。

そして農協が倒産したとき、
法人としての農協の借金は構成農家で頭割りになり、
さらなる負担として農家にのしかかってゆくでしょう。

もっと恐いことには、
農協の持つ農家の借用証書つまり債権は、
その農家の知らない間に、
会社などの第三者に転売されているという事実です。

これは河井はこの目で登記簿謄本を確認しています。

これはいったいどう考えたらいいのでしょう?
さすがに理解に苦しみます。

何はともあれ、来年には農村、農家にも大変な変革期が訪れるでしょう。

農家の試練は、
農協の崩壊による、
農協に完全に依存していた
「社会システムとの関わり方の破綻と自立」
です。

また過疎化と高齢化、廃農者の続発により、
血縁を中心にした身内贔屓・
長年の怨恨などに基づく
農村運営の常識(都会での非常識)が音をたてて崩れゆき、
今までの隣保班などの
昔ながらの排他的共同体運営ができなくなることです。

都会に先立ち、一時的に農村は完全に崩壊するでしょう。

そしてその後都会人という他所者の流れ込みにより、
新しい姿になって再生することになります。

一連のオウム事件で、
静岡の上九一色村や熊本の波野村で起きたような
農村の文化と移住者の文化の対立が起こり、
しかしお互いに生きてゆくために、
否応なく考えを変えざるを得なくなります。

もしかしたら、北朝鮮の崩壊による武装難民の流れ込みも
可能性としてはかなり大きいものがあります。

いずれにせよ、都会人も百姓も、
もしかしたら朝鮮難民の人も、
総ての人が飢餓と流血を避けるために、
背に腹は代えられず
自らの生活パターンや社会常識を、
変えねばならないときが近づいています。

この時、
農村の廃農、過疎化、高齢化による人的労働力不足と、
軽油不足による農機具の稼動低下が、
流れ込まれる者、流れ込む者双方にとって
逆に幸いすることになるでしょう。

今このように書いてきたことは、
現実としてこの数年の間に現れてきて、
みんな避けることができないことなのです。

やはり来年か再来年に予定されている
第二次朝鮮動乱のことも書きたいのですが、
話が複雑になりすぎ、本書の趣旨から外れてくるのと、
出版する時期を逃してしまうので、
残念ですがやめることにします。

しかし、今回の日本崩壊の第一幕は経済崩壊、
第二幕は第二次朝鮮動乱を含む極東アジア動乱の渦に
日本も巻き込まれることです。

そして第三幕、終章大団円は、
自然に意志があるのなら
第二関東大震災と富士を初めとする火山の噴火、
フォッサマグナ、中央構造線、南海海溝というプレートの移動を原因とした
大地震大津波がとどめとなり、
その大混乱により、人的な混乱は収束に向かい、
新しい社会システムが、其処比処の疎開地の中に芽生えはじめるでしょう。

それこそが
『天給自足』
『与えるが先』
『相互補完』
を礎にした

『農』を中心にした、社会システムなのです。

続く

2008.4.24 注、半島危機は時間的には外れましたが、
         基本的に半島危機は、中東情勢と連動した
         極東の、対中国陽動混乱戦略です。
         アメリカが北朝鮮を混乱の火種として残しているのは
         まだ使う価値があるからです。
         日本は島国であり、アメリカの戦略を中国も熟知していますから
         海を渡って占領などしません。
         日本は島国で山国なので、占領するのは軍事的に大変なのです。
         大東亜「戦争?」の敗戦の時にも、あれだけの戦力差があったにもかかわらず
         アメリカ軍は、日本の武力占領作戦を実行すると
         100万人のアメリカ兵が死傷する、と 考えていました。
あの時のアメリカ軍でもそれだけの損害を覚悟していたのですから
         北朝鮮が日本に上陸戦を行うことは、軍事常識上無理です。
         また、日本に向けて核ミサイルを撃ち込むという
         フィクションが語られていますが、北朝鮮の核は自衛のためだけのものです。
         大切な決戦平気です。
         虎の子です。
         何が悲しゅうて、戦略的に何の意味もない日本の原発に打ち込むなんぞという
         無駄遣いをするものですか(笑)
         東京に打ち込んで、北朝鮮が何か得をしますか?
         打ち込むなら厚木、三沢、横須賀、佐世保、沖縄の米軍基地に
         打ち込んでこそ、戦略的な意味を持ちます。
         日本はアメリカの不沈空母なのですから。
         だいたい広島クラスの原爆でしたら、一発落ちても「たった30万人!」しか
         死なないのですよ?
         日本の人口は1,2000万人、たった30/1,200=0.025=2.5% しか死なないの。
         それに東京のように高層ビルが林立している都市の上空で
         原爆が爆発しても、ビルが遮蔽物になって陰になるので、
         広島や長崎の時みたいに、ガンマ線中性子線で即死する人数は
         もっと少なくなる。
         そんな中途半端な攻撃は、感情的な殲滅戦につながるから
         頭のいい北朝鮮が行うわけがない。
         平和ボケの日本と違い、祖国の存亡をかけてサバイバルしている
         北朝鮮を、キチガイ扱いしちゃいけないな。
         最大の混乱は、北朝鮮が崩壊して難民が韓国に押し寄せ
         または、機関銃で武装し漁船に乗って日本海岸の穀倉地帯をめざし、
         押し出された韓国人が難民となって、博多から鳥取に押し寄せる。
         これが現実的な、半島動乱の脅威です。

6.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

と言うわけなので、後は時間の問題。

さて、国家や地方公共団体が
倒産するということは、どういうことなのでしょう。

企業の倒産を、まず想像していただければお判りのように、
職員、つまり公務員に給料が払えなくなります。

公務員としての自分の仕事が、好きで好きでたまらない、
その仕事を天才、としている人は別格。

こんな人はちょっと横に居いといて、
普通の職員は、やはり給料をもらうために働いているわけです。

ということはやっぱり、金の切れ目が縁の切れ目。

サボタージュが始まります。

今あなたが、国や県や市町村に依存していること、はどのくらいありますか?

生ゴミの回収、
上下水道、
市バス地下鉄、
警察、
道路の補修、
河川の改修、
あと諸々。

これができなくなるということです。

そして債権者の取り立てが、始まります。

破産管財人がおかれて、
その貸した額の大きさの割合に応じて、
国や県や市町村の財産を
「山分け」
するのです。

またこれが、会社の場合には、
貸し手が、新しいオーナーとして会社債権にあたることもあります。

これを国などに当てはめますと、
貸し手が
「日本という国や県や市町村を経営し運、営するという事態」
が考えられます。

「国、県、市町村を運営する。」
とは、いったいどういうことでしょうか?

簡単には

 「その一定の範囲の土地に住む住民のうち、
 この国なり地方公共団体に帰属することを表明した
 住民の『最低の』安全を確保し、
 帰属を拒否した住民を追い出したり処分する、
 そのかわりに、帰属した住民からから税を取り立てる。」

という一連の作業のことを言います。

皆さんに覚えていただきたいのは

 「帰属住民の安全を守る、
 最低の生活を守る、
 治安を守るという名目の
 『武力行為(暴力行為)』こそ、
 最高の 『 住民福祉 』 である。」

という事実です。

ヤクザ屋さんのミカジメ料と、本質は同じです。

さて、貸し手、
つまり新しく君臨するオーナーが日本人であれば、
織田信長の時代と同じく、
戦国時代のように
『ある一家』が住民を支配する
ことになるでしょう。

しかし、もしも貸し手が
日本国民ではなく外国人であったなら?

日本倒産から、日本乗っ取りとなるわけです。

最悪の事態は借金のかたに、
日本再占領が行なわれることです。

いずれにせよ、
このままで進むと
必ずごく近いうちに
日本政府は『国債』という借金が返せなくなって倒産しますよ。

地方公共団体も倒産しますよ。
あなたの会社も倒産しますよ。

失業者が街にあふれ、
失業保険も払えなくなりますよ。

年金、もう返りません。
銀行、十数社に統合、倒産させられるでしょう。

そして外資系との合併により外資系が支配するでしょう。

生命保険、大手数社と外資系しか残りません。

医療保険、もうすぐ破綻して全額自費払いになります。

介護保険、夢の夢。ボーナス?
職があるだけで感謝する時代になります。

『お金の値打ち』、なくなります。

『円』の値打ち、ニューヨーク・バブルが破裂する一瞬だけ
円高になる可能性がありますけど、
基本的には、他の国の通貨に較べたら紙切れになるでしょう。

輸入品、ものすごーく高くなります。
生活必需品のほとんどの原料を、輸入に頼っているこの御時世、
そして流通革命のために卸問屋がなくなって、
製品や原料の在庫がなくなってますから、

コンビニなど小売店から一気に物が消えてしまい、
補充されることはないでしょう。

続く

4.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

となると、誰しも考えるのは
貸した金の取り立てと、相場が決まってる。

アメリカに日本が貸した金の借用証書が、
『財務証券』と前に説明した。

これを他の国に転売したら、現金のドルが入ってくる仕組み。

このあいだ、我が橋本首相が
「かつて『財務証券』を売りたいという衝動にかられたことがある。」
と発言して、ニューヨーク株が暴落した。

貧乏な日本にとっては、それほどに、
アメリカの『財務証券』売って金を作りたいのはやまやまだけど、
それをやって、アメリカから追放されたのが大和証券。

あれは、表では株の不正取引のためと言われてるけど、
その裏は、株の先物で失敗したツケを
『財務証券』を売って穴埋めしようとした
ことがアメリカの逆鱗に触れた
というのがホントのところ。

アメリカは今景気が良い。
でもアメリカの繁栄は、自らの生産によるものではなく、
その半分以上が他の国からの資金の流入、
つまり借金で成り立っている。

みんながアメリカに金を貸すわけは、
株が毎日値を上げていたからと、
『財務証券』の利息が高いから。

要するに、
自分の国よりもどの国よりも
アメリカに金貸したら儲けられる
という思わせぶりな政策を取ってるから。

だから、『財務証券』が大量に売られると
『変動相場制市場経済システム』が働くから
『財務証券』の値段が下がって、
儲からないことが判ると
みんなが『財務証券』を買ってくれなくなる。

そしたら、アメリカに金が入らなくなるから
『財務証券』を売るようなヤツは力づくで制裁する。

それも
「『財務証券』を売ったから制裁を受けた」
ということが、表にでないように
別件で理由をつけて、
これがアメリカの論理。

もうひとつ、
日本が史上最低の公定歩合を
今だに上げさせてもらえないのもその関係。

もし日本の利率がよくなったら、
わざわざアメリカに貸さなくてもよくなるから。

だからアメリカにとっても
日本の経済が崩壊してしまうことには
デリケートにならざるを得ない状況になってるわけだけど、
日本の経済が、ある程度まわってくれんと
ニューヨーク・バブルに飛び火しかねんわけやけど、
と言うて、今日本が輸出中心に景気回復政策とったら、
せっかくアメリカに集めた金が
また日本に戻ってしまって
アメリカの貿易赤字が増えるから、
円安になりすぎるのも今は困る。

アメリカの思惑は
「日本の国民がチビチビと貯めた金で必要ないものを買って、
 その金が日本の企業に入ってきたとき、
 日本の低金利よりぶっちぎりに割のいい『財務証券』の利率に釣られて
 アメリカに金を流させる」
 ことにある。

そんなことにも気づかないほど、みんな阿呆になってしもうた。

でも内需拡大しようにも、
みんなに金がなくなったのと、
しっかり物は持ってるのと、
新しい博打の元手がない、
ネタがないときたら
内需拡大なんか不可能。

というわけで、今は日本はジリ貧。

「もうちょっと待ったら人の気持ちも変わって、少しは物を買ってくれるようになるだろう」

なんて、何の根拠もない希望的観測に
わずかな希望をかけて待つだけしかできない、のが実情なんです。

でもよくよく考えてみてください。
まずこの不景気のそもそもの原因は、
皆さんの「お気楽主義」にあったこと、
見栄と欲がバブルを作ったこと、
虚業が実業を支配したこと、

『お金』ばかりでなく
『お金もどき』『お金まがい』までが
人の心を支配してしまったこと、

そして東京バブルが潰れて
海外に逃げた『お金』の後始末の
ババの引き合いをしているのが
この不況の直接の原因であること、

そうでしょう?

続く

3.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

不景気。

不景気になったら困るのが
まず夜の飲食業界。

バブルの時に、接待で客が入ってたのが
不景気になったら接待がなくなる。

高級料理店、
これはバブルの金余りの時の
みんなの浮かれ飽食で稼いでたけど、
財布の紐が堅くなったからもうダメ。

家電、自動車、これもあってもなくてもええ物やし、
早々壊れるもんでもない。

だいたいみんなもう持ってるし、
バブルの時にいっぱい買い込んだもんね。

加えて企業は、
バブルの時に過剰な設備投資したことが裏目になって
借金漬けになってるからダメ。

今元気なんはコンピューターと通信やけど、
これも生活必需品でもないし、誰でも扱えるもんでもない。

実際コンピューター買うても、
家庭では使いこなせない、使い道がない、

あっても仕方ないことが、
だんだんみんな判ってきたから売り上げが落ちてきてる。

インターネットも家庭で使う分には
基本的にはカタログでしかないので、
調べたいことがはっきりしてたり、
河井のように、みんなに言いたいことが貯まってて
情報発信しとうてしとうてたまらんヤツやないと、
いくらネット・サーフィンして遊んだところで
カタログ雑誌の代わりになる程度のもの。

通信にしてもしかり。
所詮は携帯電話とPHSで、
世間話とビジネス話するだけやから会話時間が増えるだけ。

情報通信なんか家庭では誰も使いこなせない、だいたいいらない。

コンピューターや通信機器など
大人のおもちゃに過ぎんので
みんながオモチャに飽きたら需要は落ちる。

この不景気の時代は、
ホンマに要るものだけが生き残っていく時代になる
と言っていい。

人の見栄と欲を
時代が削ぎ落としてくれると言ってもいい。

けど、何にせよバブルの時期に
ホントに必要でないようなものが
ホントに必要なものを押しつぶして
大きくなってしもうた。

日本の国とか県市町村ていう地方公共団体は、
その必要でないようなものが稼いだ
アブク銭から税金を取って予算を組んだわけ。

予算というのは単年度で終わるものじゃあない。

ひとつの開発計画いうものは
五年十年で予算つけるものだから、
一度動きだしたらもう途中では
やめられない止まらない。

というわけで
地方公共団体までが
金融機関を通じて県債などの借金をした。

バブルが弾けて金がなくなるなんて
誰も思わなかったから。

神戸株式会社と呼ばれた神戸市は
日本だけじゃなくて
外国にまで借金して公共事業を行なった。

今は昔の物語、強者どもの夢の跡。

脆くも関西大震災で、今台所は火の車。

さてや他の地方公共団体も、
不況で税金の入りが少なくて
もう借金を返す当てもナシ。

もちろん国も同じこと。

続く

2008.4/23 注、これで外れたのは、携帯電話の普及ですね。
         こういう形(パソコン代替機)で流行るとは思いませんでした。 
         今の携帯なり、ゲーム機なり、DVDなりは、
         もう機能特化したコンピューターですから・・・
         汎用コンピューターの時代は終わったんでしょうね。
         素人にゃ使えないもの・・・
         それと、ネットが今のように普及したことで、
         通信と情報の独占が崩壊しました。
         いままで情報を独占して操作していた支配者たちは、
         もういちどネット情報を独占するための策を練っているでしょう。
         いまのような個人ブログを流行らせたのは、個人の思想信条の把握のため?
         個人の内心の管理まで考えていても不思議ではありません。
         ネットがカタログとして、流通破壊したことは
         ダイエーなどが目指していた「流通破壊」を通り越して
         メーカー消費者直販を実現しました。 
         工業製品、工芸製品においては、ネット直販は、
         次のシステムの第一歩ではあります。
         しかし、ネット直販に欠かせないのは、流通の自由です。
         流通が滞れば、ネット直販は停止してしまいます。
         流通システムの「建替え(破壊)」「建直し(再生)」が必要なのですが・・・
         現状のままでは、生活は流通に依存して支配されています。 
         「農」の直販は 天給自立の精神から遠ざかるので具合が悪いのですが、
         流通自体は「物々交換(サービスの交換も含む)」に必要なシステムです。
         流通「業界」が「お金詐欺」が解き放たれたとき、
         本当の流通が始まります。
         それは、同時に「人一人ひとりの内的革新」が不可欠なのですが・・・

2.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

まず初めは日本の経済崩壊です。

これは東京バブル破綻のツケ払いです。

今までに東京株が値下がりした分のほとんどは、
海外機関投資家と呼ばれるソロモン・ブラザーズなどの投資銀行や、
ジョージ・ソロスのような国際金融資本と呼ばれる連中の、
日本企業株の売浴びせによるものです。

バブル崩壊寸前の天井高値から、幾度も波打ちを繰り返した天井相場で
彼らは間違いなく必ず売り抜け、
そしてその株を売った代金は総て
ニューヨーク株に化けたわけですから、
日本からものすごく大量の金がアメリカに流れたことになります。

この日本全体が損した分の金は、
日本国民の誰かがババを引いて精算しなければなりません。

直接株を扱っていた証券会社、銀行、生保などの国内機関投資家は
今精算の真っ最中です。

さてこの機関投資家は、
自分の金で博打をしていなかったわけで、
その金は預貯金・保険金などという名目で皆さんから借りたものです。

つまり最後にババを引くのは、
金融機関に「金を貸した」皆さんお一人おひとりになります。

また東京バブルには、株以外にもうひとつ賭博のネタがありました。

知ってのとおり土地バブルです。

日本中の企業を含めた皆さん方は
この土地で賭博を張っていたのですが、
土地バブルの崩壊により
皆さんは博打に負けたのです。

このバクチ、自分の身銭だけ切っていれば良かったのですが、
「必ず勝つ」と信じて
金融機関から借金して、打った博打がほとんどですから、
負けて残るは、金融機関から借りた借金だけ。

皆が貧乏になったから、不景気になって財布の紐が堅くなる。

みんなが、物やサービスに金を使わないから、売り上げは落ちる。

となると、本業がはやらないから、儲けは少なくなる。

儲けが少ないから、本業では借金が返せない。

というわけで、金融機関から見ると、貸した金が返ってこない。

でも金融機関は機関投資家であったわけで、
株の博打で大損した。

つまり、皆さんに借りた金を
使い込んだ形になってるので、
皆さんに返さにゃならん。

というわけで、担保にとった土地を競売にかけようとするけれど、
不景気なのでまず売れない。

例え売れても、土地が値下がりしてるので、
貸した金全額は回収できない。

だから金融機関は
貸した相手、つまり企業や借金をした皆さんに
資産を売ってでも借金を払うように迫る。

でも、企業も皆さんも、
買った土地は、不景気なのでまず売れない。

例え売れても、
土地が値下がりしているので、
借金を全額返せない。

その企業の代表が、
ゼネコンと呼ばれる総合建設会社。

工事を受注した相手は
ゴルフ場とマンション、リゾート施設。

不景気になったから、リゾートはダメ。
ゴルフ場の会員権や、マンションは
博打の対象の小バブルやったけど、
これも破裂したからダメ。

というわけで、工事がストップしたり、
相手の会社が倒産したりして、代金が入らない。

だから今、ゼネコンが倒産してる。

ゼネコンは親会社。

実際に建設するのは
いくつもの下請けの集合体やし、
下請けの職人は、いくつもの孫請けがやってる。

ということは、親亀転けたらみな転けるわけ。

零細の、曽孫請けクラスの土建屋になったら
経理もどんぶり勘定やさかい、
ちょっとでも仕事が途切れたら、すぐ倒産や。

みんなで談合してでも、平等に仕事まわすんは
失業対策でもあったわけ。

でも親亀が転けたら、当然仕事自体が減るから
職人さんの失業が増えるやろうなぁ。

続く

1.万策つきて天下の秋を知る。(平成9年原稿)

これからの過ぎ行く時の話をしましょう。

来年の平成十年は日本経済の崩壊の年になります。

思い起こせば、あの平成元年に東京株が
ソロモン・ブラザーズの裁定取引の決済によって、大暴落を記録したとき、
それは、この信用取引という「博打経済システム」の限界を示す
「一葉落ちて天下の秋を知る」
であったはずなのです。

平成元年、すでに官僚の一部には
天下の秋を感じた方がおいでになりました。

この時点で日本が国際・国内博打経済から撤退し、
国際戦略から撤退し、貿易を縮小し、
もう一度徳川の鎖国を手本にして
『経済撤退戦』を戦い抜けばよかったのです。

この時は、大東亜戦争にたとえて言えば、ミッドウエー海戦に相当します。

拡大を慎み、
自らの手の届く範囲を、十分補給の手の届く範囲にまで撤退し
守りを固めるときであったはずなのです。

それは宇野正美氏が言うように
生活水準をたった二十年引き下げるだけで良かったのです。

しかし皆さんは、
これまでの他人様に依存した甘い夢と
便利なお手軽な生活を手放すことができなかったのです。

その結果、今の拡大する信用経済システムを守るため、
あらゆる手を使ってきました。

それが今の状況と、これからの惨状を産むことになったのです。

東京・バブルは完全に崩壊し、
日本はデフレ・スパイラルに落ち込んでしまいました。

総ての手段を使っても、
所詮は制度疲労に太刀打ちすることは不可能なのです。

戦略の失敗を戦術で補うことができないのと同じです。
季節が移り行くのを人がとどめられないのと同じなのです。

この年、世の中を動かすパラダイムの方向が変わったのです。

この平成元年に、皆さんが自ら
「便利・簡単・気持ちいい生活」
という既得権益を手放したらよかったのです。

喰い散らかすことをやめ、
食料品の値上げを甘受し、
百姓の生活を支え、食料自給率を上げればよかったのです。

少しの寒い暑いを我慢して、
下らぬ無精のための自動化などにエネルギーを使うことをやめ、
電気・ガス・石油化学製品を節約して省エネに務め、

今のように太陽光発電、太陽熱蓄熱システムや
コジェネ売電などを積極的に推進して
エネルギー自給率を上げるべきであったのです。

利鞘稼ぎの投資などをやめ、株式制度の原点に還り、
生産の支援としての投資に徹し、
汗を流し物を作り上げることを美徳とすべきであったのです。

そうすれば、まだ少しは金の余裕があったこの十年の間に、ある程度の備えができ、
新しい社会システムへそんなに苦痛を伴わずに移行できたはずでした。

しかしいまさら言っても仕方がありません。
今私どもは、
覚悟し腹をくくるときが来たことを感じなければなりません。

いえいえ、判りたくなければ判らなくてもいいのです。

この二年の間に、皆さんはこの事実を身を持って体験し、
そして身を持って知ることになるでしょう。

今から総ての社会システムが、内部崩壊してゆくのを目の当たりに見て、
そして、今の社会システムに依存していれば依存しているほど激しく、
その衝撃に、嫌が応でも巻き込まれていくことになります。

偉そうにこの文章を書いている筆者河井も、例外ではありません。
やはり皆さんよりも少しは依存度が少ないとはいえ、
日本という国に住んでいる以上、所詮は皆さんと五十歩百歩ドングリの背くらべです。

総ての法律、社会制度、円を基準とした通貨制度、

総ての物を金で評価し、売り手買い手の欲により
物の値打ちも金の値打ちも変わる変動相場制を基本とした市場経済システム、

原料を輸入し製品を輸出して
その付加価値のみで国家経済を支えている貿易立国体制、

世界規模で行なわれている、金で金を買うバクチである変動通貨システム、などなど。

私どもは好む好まざるをえず、このシステムの上に住んでいます。

このシステムが崩れたときどうなるか、今から具体的にお話していきましょう。

続く

(終/4)院内感染と薬剤耐性菌の真実

 前回は
「『MRSA』は、他のばい菌がおらへんで「清潔」やから
爆発的に増えることができた」
ていう話をした。

そやけど、こんなこと言うたところで
ウチの同業者は、
「詭弁や、屁理屈や」て言うに違いない。

 けど、今までの研究の中に
「身体の中で、『緑膿菌』と『ブドウ球菌』は
 お互いに牽制し合ってた間柄やったのに、
 『第三世代の抗生物質』で、『緑膿菌』を殺してしもうたさかいに
 『ブドウ球菌』が増え出した。」
という説がある。

今手元に資料がないけど、
確か、平成七年くらいの文献やなかったか、と思う。

医学文献を検索できる立場にある方は、ぜひ探してみてほしい。
残念ながら、田舎在住の失業中の医者では思うように探せんので、
そこんとこよろしく。

 ついでにウチの病院がまだ潰れる前、
まだ営業中やったときに、

何にも対処もせぇへんのに
『耐性ブドウ球菌(MRSA)』が消えてしもた、症例が二例ある。

まぁつぶれたウチの病院ていうのんは、
『冷研リウマチ村』ていうて
リウマチとか膠原病でチンバひいてる人とか、
ひどい腰痛で立たれへん人とかが

マイナス140℃の小部屋に
素っ裸になって2分入った後、

トレーニング・ジム真っ青のハードトレーニングを
六時間みっちりやって治療する、

ていうのが売りの、
日本で唯一の、ホンマの意味でのリハビリ病院やった。

病院は、大分県の人里離れた山の中、
病棟は108ベッドあったけど
建物はプレハブの、安普請平屋建てで、
病院ていうよりは、体育会系の合宿所か寮、ていう感じのノリやった。

隙間風は吹くし、
山の中やからダニは居る、蚊は入る、ムカデは落ちてくる、
食堂にはゴハブリ、ネズミは当たり前、

天井裏にはイタチが走ってホコリが落ちる、
廊下はネコは走る、ノミのついたイヌは入る、
患者さんは土足で部屋に出入りして土ボコリは舞い上がる、

まぁそんな「清潔」とは縁のない病院らしゅうない病院やった。

 こんな病院でも時には内科系の病気の人も入院する。

そんな中に他の病院から
『MRSA』の気管支炎をもった人が入院してきたわけや。

もちろん痰と一緒に『MRSA』が飛ぶ。

年寄りの人も居ることやし、
こりゃ『院内感染』があるかなぁと思うて
県の指導のとおりに、院内のいろんな場所で病棟内の細菌検査をしたら、
入院してまだ日にちが経ってないのに、『MRSA』が出た。

さて河井は困ったけど、
まぁ、気管支炎も軽うて、放っといてもよさそうやから、放っといて様子をみた。

ほんなら何と、
何にも薬も使わへんのに
勝手に気管支炎が治って、痰も出えへんようになった。

それから三カ月してから
病棟内の細菌検査からも『MRSA』は消えてしもうた。

もちろん病棟の消毒とか職員の手洗い、患者の隔離なんかはしてへん。
ただただ入院さしてリハビリさせてただけなんや。

 確かに症例が少ないから、偶然かもしらへんけど、
もしこの症例に意味があるとしたら、

ウチの病院と他の病院の決定的な違い、

つまり患者さんの体力と
建物の換気の良さと
「不潔」さ、

これが『MRSA』を退治したとしか言いようがない。

そやから、ウチの病院では『MRSA』なんか、全然怖うもなかった。

もちろん、なんかあったらヤバいから、痰の検査もして、
この『MRSA』には、どんな『抗生物質』が効くかも事前に検査して、
二種類の系列が効く、ていうことも確かめてあったも事実や。

そやけど、勝手に治ってしもうたんで、使わへんでもよかった。
ありがたいこっちゃ。

て言うわけで、この『MRSA』は
ウチの病院に巣喰ってた、いろんなばい菌とかに揉まれてるうちに
負けてしもうたんやろう、と想像できる。

 自然ていうのはようできたシステムや。

河井はこんな経験をしてるから、
今の医療界での、または都会での「清潔」信仰には、危険を感じる。

そらまぁ、元もとばい菌のいてない、腹の中とかを開ける手術の時に
無菌作戦を立てるのは当たり前のことや。

けども、傷口が塞がった人とか
内科系の病気の人とかの病室まで
今の大病院みたいに

ヒステリックに「清潔」にする

必要はホンマにあるんやろうか?

傷口なら傷口だけを、治るまでていう期間限定で
「清潔」にしといたらええ、だけとちゃうんやろうか。

 変に全体を「清潔」にしようと思うたら
人間以外の生きもんを、ジェノサイド(皆殺し)にせなあかん、

あんた等、そんな簡単なことにも気ぃがつかへんほど
アホウになってしもうたんか?

人間のほかの、いろんな生きもんを皆殺しにできるほど
非道い人でなしになってしもうたんか?

人間のほかの生きもんだけやったらええけど、
浮浪者狩りとか、イジメなんかも
「臭いから」ていうのんが理由やと聞く。

結局は、「不潔」退治なんや。

生きとし生けるもんが
お互いに、干渉し合いながら、折り合いをつけて共存する。

この自然のシステムを、活かした世の中にしたいもんや
と河井は切に願うとる。



(3/4)院内感染と薬剤耐性菌の真実

 前回は
『耐性ブドウ球菌(MRSA)』が生まれてきた状況と
その性質の話をした。

かいつまんでいうたら、
『第一世代の抗生物質』で、戦前戦後ハバをきかしてた
『ブドウ球菌』による感染症が、一掃されたから、
ウチの業界は、他のばい菌に目が向いて
『第二世代の抗生物質』をつくった。

けど、病院では、『緑膿菌』が生き残って、院内感染を起こしはじめた。

慌てたウチの同業者は
慌てて『第三世代』を開発し大量に投入、
一方、病院無菌化作戦をたてて
『緑膿菌』による院内感染に対抗した。

ところが『第一世代』は忘れられたため
『ブドウ球菌』がしぶとく生き残って、
自分には効かへん『第二、第三世代』に対して
『耐性(無毒化する能力)』を身につけるていう進化をした。
これが『MRSA』の誕生やったんや。

 さて、前回は主に『MRSA』の誕生と
『抗生物質』との関係を中心に話を進めたんやけど、
『MRSA』が大病院で流行り始めたのんは
『抗生物質』の乱用だけのせいやない。

実は病院無菌化作戦によって『MRSA』が
我がもの顔に振舞えるようになったんや。

病院無菌化作戦、

病院をできるだけ清潔に消毒して
診察室や病室、職員の身体、患者さんの身のまわりにいたるまで清潔に、
ばい菌が住みにくいようにしよういう作戦や。

特に大病院なんかでは、内装の張り替えなんかしたところもあった。
時代はバブルの入りかけ、
まだウチの業界の金回りはよかったから、
病院自体のイメージアップの目的もあった。

余談ではあるけれど、
この時期に病院の中の生活臭が失われて
病院は非人間的な空間になった。

小奇麗で清潔にみえるけど暖か味に欠ける、
そんな建物が病院以外でも流行りになった。

 話がそれた。『緑膿菌』『ブドウ球菌』に限らず
ばい菌ていうもんは、いや生きもんていうもんは
ひとりで生きてるわけやない。

必ず隣にはいろんな種類の生きもんが居てて、
そのいろんな生きもんとお互いに関り合いながら生きてる、
自然いうたらそういうもんや。

ばい菌かて例外やない。

例えば病院の職員の手、
ま、あんたの手ぇでもええんやけど
顕微鏡で覗いてみたらいろんな種類のばい菌とかカビだらけや。

当然病院の内装とかベッドなんかもばい菌だらけなんや。

ばい菌ばい菌言うても病気を起こすばい菌だけやない。

物を腐らせるばい菌とか、
シミになるばい菌とか、
ま、いろんなばい菌が住みついとる。

『緑膿菌』とか『ブドウ球菌』は
こういう連中と一緒に棲んどったわけや。

 あんた等も近所付き合いていうのんには苦労するやろ?
ばい菌も例外やない。

ばい菌とかカビは、
そら自分が住み心地がよかったらどんどん増えたいに決まってる。

けど住み心地がええところちゅうのんは誰氏も一緒。
自分の周りには他人は寄せつけとうない。

ていうわけで、ばい菌もカビも自分以外の者んと出会うたら
相手を殺したりじゃましたりする仕組みを備えてる。

こういう仕組みをもって
ばい菌らは他のばい菌と
お互いに牽制し合いながら共存してるわけや。

いろんな種類のばい菌とかカビが棲んでるから
お互いに強い弱いがあって干渉しあうから、
ひとつの種類だけがどんどん増える、
なぁんてことは自然では普通おこることはない。

逆に人間が小賢しい知恵で、
ある一種類の生きもんだけをジェノサイド(絶滅)させてしまうと
大変なことがおこる。

 かつてかの毛沢東が
「スズメは害鳥である。」
と言ったおかげで
全中国でスズメが退治され、

その結果スズメが食べてくれてた虫が爆発的に増えて
中国は大凶作になった、
ていう笑えん話がある。

自然ていうのは
総ての生きもんが
他の総ての生きもんに対して
影響し合って成り立ってる奥の深か~いシステムなんや。

そやから室内環境かて例外やない。

ばい菌とかカビていう連中の上に、
カビを食べるダニとか
ダニを食べる虫とかが居てたら
話はもっと楽しくなる。

要はいろんな生きもんが居れば居るほど、
その中の一種類が暴走することは少のうなるわけや。

 けど、こういういろんな生きもんがワヤワヤと居てる状態を
ウチの業界人は「不潔」というて毛嫌いする。

病院無菌化作戦は
この「不潔」に対して行なわれた作戦やった。

「不潔」を「清潔」にする。
確かに耳障りはええスローガンや。

けども、それは不自然なことなんや、
ていうことに誰も気ぃ付かなんだんや。

病院無菌化作戦は
徹底的に消毒、殺菌することをもって良しとした。

そして何も居なくなった・・・と誰しもが思った。

何も居ない環境、それは荒野のフロンティアである。

その過酷な環境に耐えれる者んにとっては
誰にもじゃまされへんパラダイスなんや。

消毒と『抗生物質』によってつくられた
密室のパラダイス。

『MRSA』は
この「清潔」な密室のパラダイスやからこそ
爆発的に増えることができたんや。

続く

(2/4)院内感染と薬剤耐性菌の真実

 前回は『抗生物質』が発展したけど、
その『抗生物質』がたまたま効かへんかった
マイナーなばい菌『緑膿菌』による、院内感染が問題になったことの話をした。

この『緑膿菌』による院内感染が
ウチの業界で話題になってから、
それまでは結構不潔やった
病院の内装とか
職員の衣服の消毒、
職員の手洗いの厳密化とかの
病院無菌化作戦が展開された。
その結果、病院は清潔になった・・・と誰しもが思うた。

 薬屋は
『緑膿菌』にも他のいろんなばい菌にも効く『抗生物質』を開発した。
このタイプを『第三世代の抗生物質』と呼ぶ。

医者は、『緑膿菌』に対して『第三世代』を投入して
院内感染の治療にあたった・・・

確かに『第三世代』は『緑膿菌』に良う効いた。
他のばい菌にも良う効いた。
そやさかい医者は競うように『第三世代』を使うた。

 いつも言うように医者も営利で動く。
もちろんウチの業界は営利で動く。
薬ていうもんの小売り価格は
点数制ていう公定価格で決まっている。

この公定価格は
新製品として発売したときに厚生省が決めて、
その後は毎年値下げになっていって、
その薬が良うても悪うても
売れてても売れへんでも
自動的に古い薬ほど安価うなるシステムになってる。

安価うなっても薬造る原価は変われへんから、
製薬会社も、薬卸も、医者も、
薬を売った儲けは毎年少のうなる。

要は古い薬を使うても旨味が少のうなるわけや。

 医薬品ていうもんには
画期的な新製品ていうもんはそうそうない。

診断技術は進歩しても
治療技術は言うほど変わらんもんや。

けどこの『第三世代』は画期的に効く薬やった。
儲けと効果、このふたつの餌に
ウチの同業者はみんなして飛びついて、
そして『第三世代』は乱用され、
『第一世代』には誰も振り向かへんようになった・・・

『緑膿菌』は確かに押さえることができた。
けど自然はやっぱり甘もうなかった。
どうやらばい菌は人間が思うたよりずっと賢かったらしい。

 『緑膿菌』が退治されるのを待ってたかのように、
昔むかし『第一世代の抗生物質』によって一掃されたはずの
『ブドウ球菌』が戻ってきた。

それも何と、
『抗生物質』は『第一世代』『第二世代』『第三世代』合わせたら
約10系列500種類あるんやけど、
このうちのほとんどの『抗生物質』に対して
自分で無毒化してしまう能力を身に付けて、
ヤツは病院に戻ってきた。

ヤツの名は『耐性ブドウ球菌』。
英語で略して『MRSA(マーサとも呼ぶ)』。

 元もと『ブドウ球菌』は毒性が強かった、
そう、『第一世代』が一掃した昔のばい菌は
毒性が強いばい菌やったんや。

そやから昔は今と違ごうて、
肺炎になったら死んだりすることが多かったわけなんや。

『ブドウ球菌』が『MRSA』になって毒性が強うなった
と勘違いしてる同業者もおるけどそうやない。

元もと『ブドウ球菌』は、毒性が強いどこにでもおるばい菌やったんや。
単に『第一世代』が効いて扱いやすかっただけのことなんや。

 『第一世代』で『ブドウ球菌』があっけなく一掃できたから、
ウチの業界人はみんなして、
『第二世代』『第三世代』で他のばい菌を殺そうとしたから、
『第二世代』とか『第三世代』は
『ブドウ球菌』にはあんまり効かんでも気にせえへんかった。

元もとどこにでも居る、
あんた等の手にも居る、
鼻にも口の中にも居るような『ブドウ球菌』は、
『自分を殺す『第一世代』が使われへんのをええことに、
自分にはあんまり効かへん『第二世代』『第三世代』が乱用されてるうちに
そこの病院が使うてる『抗生物質』に慣れてしもうて
自分で分解できるようになったんや。

まぁ言うたら自分の住んでる環境に適応して進化したと言うてもええ。

 さて病院は日本になんぼでもある。
けど高価い『第三世代』を乱用できたんは
いわゆる大病院だけや。

『ブドウ球菌』はどこにでもいてたから、
日本中の病院に住んでた『ブドウ球菌』が
それぞれの病院独自に適応した。

そこの病院で使うてる『抗生物質』に慣れたわけやから、
そこの病院が使うてない系列の『抗生物質』は
見たこともさわったこともないからよう分解でけへん、
ていうことなんや。

 実際、A病院の『MRSA』がウチの病院に入ってきたときに
先に言うた10系列の『抗生物質』全部について
効くか効かへんかの検査したら、
そのうちひとつかふたつの『抗生物質』は効くいう結果がでた。

B病院から来た『MRSA』は
違う『抗生物質』が効くことがわかった。

またちょっとしてA病院から来た『MRSA』に
効く『抗生物質』は前のA病院のと同じパターンやった。

そやからたぶん日本中の大病院で
『MRSA』に効く『抗生物質』を調べたら
その病院ごとに違うたパターンになるはずや。

「『MRSA』には効く『抗生物質』がない」
ていうけどそんなことはあらへんのや。

続く

(1/4)院内感染と薬剤耐性菌の真実(たぶん平成10年ごろ著)

 長い歴史の中で、
一般大衆、医学シロウトのあんた等が
こんなにも医学や医療のことに
関心を持った時代もめずらしいもんや。

シロウトのあんた等が
医学や医療に興味を持ってくれることは
ウチの業界にとっても、とぉってもありがたいことや。

あんた等が興味を持ってくれたんは、
ウチの業界人がいろいろアホなことしてくれたよってに、
それに泣く人が、大声で訴えて裁判になったからなんやが、

結果からだけ考えたら
ウチの業界がアホをやってくれたさかい、
あんた等素人が
医学や医療に、初めて興味を持ってくれたとも言えるわけや。

ま、何が幸いになるやら、不幸になるやらわかったもんやあらへん。

 ウチの業界のアホの中でも
ひときわ目立ったんが、エイズ問題。

静かにやけど、着実に進行中の問題が院内感染。

院内感染を簡単で極端に説明したら

「病気をなおすために病院に入院したんはええが
入院中に病院に居てるばい菌に巣喰われてしもうて
病院の裏口から退院する」
ことなんやけど、

これで残された遺族がようけ裁判しとる。

河井から言わしてもろうたら、
昔から病院いうたら、病人だらけで
どんなばい菌がいてるやら判らへん、汚いとこやから、
病院行ったら、ばい菌感染(う)つされるに決まってるから、
よっぽどの時以外には、行くとこやないんやけどなぁ。

まぁそれはそれとして、
病院に行きとうのうても
事故なんかで、意識のない間に病院入院してしもうて、
緊急手術なんかで命が助かったんはええけど
院内感染してしもうて、結局命を落としたとか、

なかなか泣くに泣けん、
笑うに笑えん話は、結構ぎょうさんあるもんや。

 さて、
「院内感染にかかったら最後、効く薬がない」
ていう話、
あんた等も聞いたことがあるはずやけど
ちょっとその話でもしてみよか。

この話、問題は
病院に巣喰うた薬の効かへんばい菌にある。

この手のばい菌を
『耐性(たいせい)菌』
と呼んでるわけなんやけど、

何に対して耐える性質があるかていうたら、
ばい菌を殺す薬『抗生物質』に対して
耐える性質を持ったていうことなんや。

さかのぼってみたら、
昔は病気て言うたら
ほとんどがばい菌と怪我だけやった。

怪我とばい菌がなかったら医者は要らへんようになると
みんなが思うたくらい、
戦前戦後はばい菌の威力はすごかったんや。

 そやけど戦後『抗生物質』が発明されて、
昭和三五年から国民皆保険になって
医療費が安価うなったから
『抗生物質』がどんどん使われ始めた。

国民の生活も豊かになって栄養状態が良うなったさかい、
それから汲み取り便所になったこともあって
『結核』とか『チフス』とか『コレラ』とかの
代表的な感染症は少のうなっていった。

この頃の感染症をおこすばい菌は、
『肺炎球菌』とか『ブドウ球菌』とか『連鎖球菌』
とかいうばい菌が主やったから
『抗生物質』もこの手のばい菌に効いたら良かったわけや。

『抗生物質』には限界があって、
効くばい菌にはよう効くけど
ばい菌の種類によっては全然効かへんことがわかったてたけど、

ようある感染症の原因の
『肺炎球菌』とか『ブドウ球菌』とか『連鎖球菌』
とかいうばい菌に効いたら
それはそれで問題なかったんや。

 けど病気をおこすようなばい菌は
何百種類もあるわけやから、

当然『抗生物質』を使うたら効くばい菌には効くさかい、
なりゆき効かへんばい菌が生き残って

その『抗生物質』が効かへんばい菌による
感染症の割合が増えてくるのんはあったり前のことや。

というわけで世の中には
『肺炎球菌』とか『ブドウ球菌』とか『連鎖球菌』とかいうばい菌
以外のばい菌による感染症が増えてきたさかい、

薬屋は争って効かへんばい菌にも効くような、
改良された『抗生物質』を開発して売るようになった。

この新しい『抗生物質』を『第二世代の抗生物質』、
対してこれまでのものを『第一世代』の抗生物質と呼ぶ。

 さて『第二世代』の効き目は大したもんやった。
これでほとんどの感染症、ほとんどの種類のばい菌が撲滅された、
と当時の業界の誰もが信じた。

そやけど・・・自然はそうそう甘もうはなかった。
『第二世代』が全然効かへん『緑膿菌』
ていうばい菌による感染症が病院の中だけで出現して、
見るみるうちにポピュラーになってしもうた。

それまでは『緑膿菌』の感染症いうたら、
ガンとかで抵抗力が目茶苦茶無うなった人がなる
珍しいもんやったんや。

それが病院の中で大流行りしたもんやから
ウチの業界人は慌てた。

この『緑膿菌』感染が院内感染の始めやった。

昭和六十年くらいのことや。

 この頃から、
入院する原因の病気は治ったけど、
手術は成功したけど、
院内感染で裏口退院になったいう話を聞くようになった。

どうやらこの辺でウチの業界は
対処の方法を間違えたんやないかと河井は思う。

ジェノサイド(絶滅戦)をしたらあかんかったんや。

続く

2008.4/19 「農」のディープな話が続いたので、Have a break。
       軽ぅく笑い飛ばしてくださいな(笑)

終/12.今なぜ『農』なのか (平成九年六月二十日、著)

これからの社会システム。

 新しい 「社会システム」 は
 『自然』 に、より近い人間の行為である、
  『農』 のシステムの発展、

 つまるところ

「『天給自足』 プラス 『リサイクル』 型」 社会経済システム

 なのです。

 もうすぐ経済崩壊を迎える日本は、
 まだ少しでも体力の残っている間に、
 今の 「工業システム」 の生産力、開発力すべてをふりしぼって、

  「 『天給自足』 プラス 『リサイクル』型 」 社会経済システム

 に、換骨奪胎してゆかねばなりません。

 だから今、 『農』 なのです。

 もうすぐ起こる日本の金融経済崩壊は、
 その渦中におられる方にとっては大変な苦痛でしょう。

 そして、その渦に、
 日本の社会経済システムが総て巻き込まれて
 連鎖崩壊して行きますので、
 総ての国民の皆さんが、無傷では済みません。

 今までの 「工業システム」 の考え方を
 嫌でも捨てて改めざるを得なくなります。

 これは今までの生き方を、
 生活パターンを、
 考え方を
 180度変えることになりますから

 大変な混乱と苦しみを伴います。

 しかしこれは、次のシステムへの 『産みの苦しみ』 なのです。

 もう引き返すことも、避けて通ることもできません。

 すでに、十月十日は近づき、陣痛は始まったのです。

 これは皆さん、お一人おひとりのことなのです。

 政府が、社会が、会社がやってくれることではありません。

 あなた方が頼りにして、信頼という名で

  『依存』

  している、総てのシステムは、

 「 『お金』 の信用」
 と
  「 『工業システム 』 の考え方」

  に
  『依存』 して
 存在していますから、

 金融経済が崩壊すると、その存在基盤を失って、連鎖崩壊します。


避けて通れない産みの苦しみ。

 これは、皆さんお一人おひとりが、
 どうしても通過せねばならない、
 やらなければならないことなのです。

 言いかえれば、

 今までの 『依存』 のツケ払い

 だと思ってくださっても結構です。

 あなたが女性なら、聞いたことがおありでしょう?

  「 『甘え』 つまり 『依存度』 が強い女性ほど陣痛が強くお産が苦しい」

  ということを。
 そして

  「不安の強い女性ほどお産が苦しい」

 ということも。

 河井も含めて、みんながもうすぐ未体験ゾーンに突入します。
 誰もその先に、どういう仕掛けが待っているのかわかりません。

  「わからない」

  ということは

  「不安」

  な ことです。

 でも唯一わかっていることは

  「今までのやり方はもうすべて通用しない!」

  ということです。

 そして、私どもが頼ることが出来る唯一のものは、
 私どもを産み育て、
 陰ながら支えてくれていた

  『自然』

  でしかないということです。

 私どもがよりどころにするものは

 『自然』

 しかなかったのです。

 だから、今 『農』 なのです。

そして誕生のヨロコビをあなたと!

 どんなことからでも良いのです。
 皆さん、お一人おひとりが、
 今までの 『農』 から遠ざかる生活の方向を改めて、
 少しでも早く 『農』 に近づいてくださることになれば、
 この出産は安産になってゆくでしょう。

 だから、今 『農』 なのです。

 そして出産の後、皆で嬰児の誕生のヨロコビを分かち合いましょう!

  『与えるが先』 、

  「『天給自足』 プラス 『リサイクル』型 」 社会経済システム」

  という嬰児を。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

11.今なぜ『農』なのか (平成九年六月二十日、著)

人間は『無から有』は創れない。

 『天然資源』も、人間が 『自然』 から掘り出してきたものです。
 それを人間が手を加えて、
 いろいろな工業原料または工業製品に、形作りました。

 手を加え自在になる割合が多くなるにつれて、
 人間は

 「その元をゼロから創れない」

 ことを忘れ傲慢になります。

 確かに在るものに手を加え、別の形なり性質にする『技』、
 これはすばらしいものです。

 しかし肝心かなめの、元のものがなければ
 その 『技』 も活かすこと
 はできません。

 神戸にはそのような 『技』 を持った
 町工場や職人さんが、たくさんおいでになりました。

 しかし、震災で原料が途絶えたとき、
 その 『技』 は活かことができたでしょうか?


神戸震災の教訓。

 ある大手自動車メーカーは、
 神戸の町工場に作ってもらっていた部品がなくなったので、
 ある期間、自動車が作れなくなってしまいました。

 「自動車が作れなければ売ることができない。
  売ることができなければ 『お金』 がもらえない。
  『お金』 がもらえなければ、従業員に給料が払えない。
  給料が払えなければ、自動車を作らず
  従業員は休ませればいい。

  休ませた従業員に、給料を払わないわけにはいかないから、
  働かない分だけ給料を減らす。

  給料が少なくなったら従業員は困る。
  なんで困るかというと、
  いつもの給料が必ずもらえるものとして、生活設計しているから。

  何もしないでも、必ず出ていく 『お金』 の割合が多いから。

  だから、急に給料が少なくなったら
  食費を減らさざるを得なくなるから困る。」。

 別に、日本の社会構造にとっては、
 新車が当分できようとできまいと、
 実際上困ることはない。

 困るのは、その自動車会社の従業員であって、
 その生活を、新車の販売利益に依存して、頼りきっているから、
 新車が売れなくなると、食べられなくなって困るわけなのです。

 この場合、
 その 『技術』 『技』 も
 「そのメーカーの新車が売れる」
 ということに 『依存』 して、
 『自ら食べる物を作る』 ことを犠牲にして
 生活を成り立たせていたから
 『困った』のです。

 みんなが第二種兼業百姓だったら、
 『困り方』 が少なくて済んだのです。

 給料をくれる『雇用者』、
 すなわち 『ご主人様』 に、
 生活を 『依存』 する割合が少ないほど、
 皆さんの 『奴隷度』 は少ないわけです。

 『奴隷度』 は、

 すなわち

 『依存度』

  のことです。

 そして 『依存度』 が小さいほど、
 皆さんは自由に生活することができるのです。

 これも、今度のふたつの震災が残した大切な教訓です。


『人間の智慧』という傲慢。

 『天然資源』 を加工する 『技術』 の話からそれてしまいましたね。
 『天然資源』 は人間が創りだすことはできず、

 『自然』 から借りて、使わせてもらっているだけだ
 ということを忘れてしまって、
 みんな
 「人間の知恵は万能である」
 という
 「工業システムの考え方」
 に染まってしまいました。

 そして、人間が本当に万能であるかのように想い、

 「 『自然』 に挑戦して勝つ」 ことを 『善し』

  としてしまいました。

 それは即ち

 「 『自然』 を 『不自然』 にすることを『善し』」

とする考えなのですが、
 みんな気づかないままに、時の流れに添って流れてきたのです。

 今、この「工業システム」の考え方、
 つまり 「人間は万能である。」、

 もう少し厳密に言うと
 「人間は科学を万能に使いこなすことにより、
  『自然』 に打ち勝ち支配することができる。」

 という考え方が、
 あさはかであったということがはっきり見えてきたのです。

 人間も所詮は 『自然』 の一部であり、

 「 『自然』 というお釈迦様の手の上を飛び回って
  天狗になっている孫悟空だった」

 ことがわかってきたのです。

 だから 「工業システム」 の考え方では
 今の行きづまった 「社会経済システム」 は自己崩壊するしかなく、
 次の新しい 「社会システム」 を産み出すことができないのです。

続く

10.今なぜ『農』なのか (平成九年六月二十日、著)

『相互依存』から『相互補完』の関係へ。

 戦後に育った私どもや、
戦前でも街で生まれ育った皆さんには、
 しっくりこない現実感のない話と思えるかも知れませんが、

 少なくともこの日本の農村や漁村で
 日常的に『お金』が使われ始めたのは、
 意外なことに昭和三十年代からなのです。

 それまではほとんどの生活経済は
 『物々交換』や
 『勤労と、物によるお礼』
 で成り立っており、
 それで十分だったのです。

 この古くて新しい経済体制は、
 今まで『福祉』とか
 『揺り籠から墓場まで』とか
 『助け合い』
 などと言われていたような

 「自らの生活基盤まで他人様に甘えて任せてしまう」

 という『相互依存』関係ではありません。

 「自らの生活基盤は自らの責任で行ない、
  余裕の部分をお互いに交換する」

 という『相互補完』の関係なのです。

 この『相互補完』関係というのは、
 簡単に言うと

 「ウチでトマトが食べ切れないくらいできたから、
  せっかくできたのに腐らしたら『もったいない』から、
  奥さんとこで、少しもらってくれませんか?」

 という、近所付き合いと思っていただいて結構です。

 少し大きな目で見れば、
 バブルの時代に日本の企業はものすごい勢いで生産設備に投資し、
 気がつけば
 「原料さえあれば」
 日本一国で世界の総ての日用製品を供給できるまでの
 生産能力を持つことになったことは、あまり知られていない事実です。

 そして今、日本には
 『食糧』と『天然資源』以外の
 日用製品は有り余っています。

 この有り余った日用製品を、足りない国にもらっていただくのです。

 この時、大切なのは
 『一切の条件をつけず』
 もらっていただくことなのです。

 決して
 『恵んだり、与えたり』
 という根性ではありません。

 日本では使っていない
 『活かされていない可愛そうな物』
 を、活かして使っていただくのです。
 それでこそ『物が活きる』というものです。


『ギブ&テイク』から『ギブ&ギブ』へ

 『ギブ&テイク』

 ではなく

 『ギブ&ギブ』

 『与えるが先』

 の考え方が基本なのです。

 少しでも『農』を始めた方ならおわかりになるはずです。

 野菜や果物は、なりだしたらひとりでは食べきれないほど一度に実をつけます。
 
 そして一度に熟れて、一度に食べ頃を過ぎて、腐って落ちてしまいます。

 この
 「一度になって腐って落ちる。」
 ことが大切なのです。

 一度に収穫しきれないほど実をつける。

 収穫しても貯蔵できない、貯蔵しても劣化してしまう。

 だから他人にあげても惜しくない、
 いや腐らせたら『もったいない』から
 「是非もらっていただきたい!」

 これが
 『相互補完』
 『与えるが先』
 を動かす気持ちなのです。

 確かに
 人間が『種』を蒔き
 『苗』を植えたから、
 たわわに実が実ったのではありますが、

 それは人間が植えた
 『種』や『苗』を、
 『自然』が、「『陽』と『土』と『水』」という力を使って育ててくれたのです。

 そしてその作物は植えた人の手を離れ、
 『自然の一部』である、自(おのずか)らの『命』の力と『大自然』の力で育ち、
 植えた人だけではなく
 『自然』の中に活きる生きとし生けるもの、総てのために育って、
 あるいは虫を潤し、
 あるいは鳥や獣を潤し、
 そして植えた人にもその恵みを分け与えるのです。

自然が与えてくれる『暮らし』のかたち

 「生みの親より育ての親」

 とも言うではありませんか?

 ましてや人間は
 『種』や『苗』などの『いのち』を
 ゼロから合成できないのです。

 総ては
 『自然』からの預かりもの
 にすぎません。

 その意味では
 みんなが言う『自給自足』は

 「みずから給いみずから足らす」

 ではなく

 「おのずから給わりみずからを足らす」

 であって、

 誤解を避けるために

 『天給自足』

 と言ったほうがより正しいかと思います。

 人間は、
 『自然』から一時お預かりして使わせていただいた『命』を
 再び『自然』にお返しをするという
 当たり前のことをしただけなのです。

 『自然』は、その在り有りて在り余る総てを

 無条件無利子で

 貸し与えてくれているのです。

 これが『自然の型』なのです。

 個人にせよ
 共同体にせよ
 村にせよ
 国にせよ、

 その「在り余り活かし使えぬ物事」を
 『もったいない』と思い、

 「足らず活かし使っていただける」者に『無条件』で提供し、

 みんなでその物事が
 『活きて役立つことを見て楽しむ』。

 これが来たるべき経済崩壊の後に芽生えてくる

 『与えるが先』、
 「『天給自足』
 プラス 『リサイクル』型」社会経済システムのよりどころです。

 だから『農』なのです!

続く。

9.今なぜ『農』なのか (平成九年六月二十日、著)

『市民』という名の搾取者。

 このようなマッチ箱の中に
 『ライフ・ライン』などという脆弱な命綱に真底甘えきった
 数百万の『市民』と名づけられた奴隷が住み、
 国内の農村や漁村だけでは飽きたらず、

 海外の貧しい国に、豊かさを分け与えるどころか、
 知らずとはいえ『国際食糧資本』の『相互依存システム思想』に洗脳されて、
 その国の大切な『天然資源』や『食糧』を絞り取り、
 貧しい国を更に貧しくする手伝いをしています。

 これを『搾取』と言わずして何を『搾取』と
 言うのでしょうか?

 ある人に言わせると『共産主義』が世界で一番成功した国はこの日本だといいます。
 そう、マルクスの言った『プロレタリアート(無産階級)』とは
 「子供以外に何も資本を持たぬ者」という意味でした。


『お金真理教』の信者たち。

 戦後日本では『お金』が唯一の価値となり、
 総てのものが『お金』で量られるようになり、

 そして『お金』があれば、
 上手くいけば人の心さえ買える

 『金のもとでの平等』

 が約束された世の中になりました。

 だから皆が『お金』に頼りきって
 『お金』を神のごとく敬い信仰し、
 『お金真理教』の信者になったのです。

 『一万円札』という
 「原価一円何十銭の紙切れ」の
 「額面一万円」という数字との差額、

 「いつでもどこでも額面と同じ価値の『物』と交換いたします。」
 という
 「唯の約束」で、
 人の心までも買える時代になったのです。

 だから皆はこの約束を信じて、
 紙切れを集めることに駆り立てられ、

 今では更に
 「原価さえない」『数字』を集めることに夢中になっています。

 河井には、まるで子供がスナック菓子のおまけカードを集めているようにしか
 見えません。

 そして、その無意味な数字と引き換えに、
 自らの生活を支える『生産手段』を手放していったのです、

 『簡単』、『便利』、『気持ち良い』

 という誘蛾灯に魅かれ集まる虫のように。

 先に言いましたように、
 もうすぐ日本経済は破綻し「唯の約束」は守られなくなります。

 その時皆さんは

 「自分が本当はプロレタリアート、つまり奴隷であった。」

 ことに気づくことになります。

 河井はこの文を書いている平成九年六月二十日から数えて
 最悪半年後、よく保って2年後にはそうなると確信していますので、
 非難を覚悟でこの文章を書いています。


神戸と新潟、ふたつの地震からの教訓。

 『国際食糧資本』に餌を、
 『国際石油資本』に石油を与えてもらわなければ
 生きていけない本当の意味での無産階級、
 つまり奴隷におとしめられているというのに、

 係長だの部長だのという、奴隷の階級を手にすることに汲々とし、
 自らの『ライフ・ライン』を支えている、第一次産業に従事する人々を見下して
 それが当たり前にしか思えないようなそんな連中は、

 一度、神戸のように悲惨な体験をしなければ、目が醒めないのだろうと思います。
 いいや、あの神戸の被災者の人でも、未だに気づかない人のほうが多いのですから、
 真底飢えることがないとわからないのが、
 他人に依存しきった人間という動物の悲しい性なのかも知れません。

 神戸の陰に隠れてあまり話題になりませんでしたが、
 神戸の後に新潟で
 やはり震度6を超える直下型地震が起こったのをご存じでしょうか?

 被害地が農村だったので、被害が少なかったので
 大きな記事にはならなかったのですが、
 なぜ農村だったら被害が少ないのでしょうか?

 人口密度が多くても少なくても、
 『ライフ・ライン』が途切れたことには変わりがないはずなのに。

 この答えは、新潟の被災者の方々は、
 そのほとんどが第一種か第二種兼業農家で
 『食べる』という面では、『ライフ・ライン』にあまり依存しておらず、
 また石油に替わる当座の燃料や、生活に必要な電気にいたっても
 依存率が少なかったことにあります。

 被災者の方々の自立の割合が大きかったので、
 神戸のような惨状にはならずに済んだのです。

これが『農』の本当の意味だ!

 『お金』の約束が消滅し、
 『お金』と『物』が交換できなくなったとき、
 それは日本全体の『ライフ・ライン』が途切れることを意味します。

 そしてこの二つの震災は今後数年に起こる、
 日本の経済破綻の際の極めて大切な教訓なのです。

 これからの時代は、あなたの生活の中で

 『お金』もしくは『お金もどき』を仲立ちにした経済の割合が大きいほど
 苦しく不自由になってゆきます。

 逆に『お金』『お金もどき』の割合が少なければ少ないほど
 楽に生きてゆくことができます。

 最低限、自らの食べるものだけは、まず自分で作りまかない、
 食べるもの以外は、自らの得意なことで他人様に喜んでいただき、
 先様の得意なことで返していただく。

 今の第二種兼業農家のあり方から、
 「金を儲ける」
 という考えを取ったものと考えてください。

 自らの足りて余る物事で、
 他人様の欠けて足りない物事を埋め合わさせていただく。

 逆に他人様の足りて余るもので
 我身の欠けて足らざる物事を埋め合わせていただく。

 そして自らの生活で最低限のこと、
 つまり

 『飢えることのない』

 程度の生活の余裕のために、

 全国民が『農』をする。

 そう、これこそが
 今『農』の意味なのです。

続く

2008.4/16 注、時間設定は見事に外れてしまいました。
         しかし、内容自体は間違えていないと思います。
         崩壊が遅れた分だけ、その時間の分だけ、皆さんの依存度が増えたので
         崩壊のときは、この設定よりも、もっと悲惨になるでしょう。
         ここでは、皆さんをプロレタリアート、子供しか資産のない者、と
         いいましたが、子供すらもない無資産者になってしまいましたからね。
         この文章を読んで、「依存」をひとつはずしてみようかな?と思った方、  
         さしあたり、今年は、庭で、ベランダで、プランターで、
         野菜を植えてみませんか?
         今の季節、ホームセンターに行けば夏野菜の苗が出始めましたよ。


8.今なぜ『農』なのか (平成九年六月二十日、著)

日本が倒産する日。

 このように「お金」の値打ちがなくなるということは
日本国内だけのことではありません。

日本は
 『食糧』や『石油』、『鉱物』などの生活必需品を
 ほとんど総て『輸入』に頼っています。

 そしてこの『輸入品』の代金は、
 『輸入』した原料を優秀な製品にして輸出して
 稼いだ「お金」で買っているわけです。

 つまり止まれば倒れる自転車操業ですね。

 さて日本の「お金」つまり『円』の値打ちがなくなるわけですから
 『輸入品』の買値は高くなり
 『輸出品』の売値は安くなります。

 つまり『輸入』しにくくなるということです。

 もう一度考えてください。
 日本は『生活必需品』を『輸入』に頼っているんですよ。
 『輸出品』も『輸入』に頼っているんですよ。

 優秀な『輸出品』も作りきれなくなるのです。

 『輸出』ができなくなるということは
 自転車操業が破綻するということなのです。

 「『貿易黒字』が減った!」などと喜んでいる場合ではありません。
 『日本が倒産する』のです。


国家倒産とはこういうこと。

 これが『食糧』、『天然資源』
 すなわち『石油』『鉱物』がなくなるということなんです。

 『石油』がなくなるいとうことは、『合成繊維』が作れないということです。
 『石油』がなくなるということは、『電気』がなくなるということです。
 『電気』と『石油』がなくなるということは、『農機具』がうごかないということです。
 『ハウス栽培』ができなくなるということです。

 これで『衣食住』のうち『衣』『食』が破綻しました。

 あとは『住』です。
 先の関西大震災では
 『ガス』『電気』『水道』といった、
 いわゆる『ライフ・ライン(生命線)』が寸断されました。

 冷蔵庫やエアコンは効かず、
 物の煮炊きができず、
 ポンプが動かないので水は出ず、
 エレベーターは動かず
 地上の給水車から階段をバケツで水汲みし、
 水洗便所は使えないので
 糞尿は肥担桶をかついで階段で降ろし
 という生活になりました。

 そしてそれは高層マンションの最上階という一等地に住んで
 『便利』で『文明的』な生活をおくっていたリッチ・マンの人ほど
 悲惨な状況に陥いるという皮肉を生んだのです。


「便利・簡単・気持ち良い」生活の罠

 「『便利』で『文明的』な生活」というものが
 『ライフ・ライン(生命線)』という『人間の浅知恵』に
 いかに完全に頼りきって、依存していたかを、よく顕した出来事でした。

 『ライフ・ライン』は『輸入』という点と
 『文化的な生活』という点を結ぶ線のことです。

 線が切れた程度でもこれだけのことが起こったわけですから、
 『輸入』という点が消滅してしまったら
 『住』も破滅するのです。

 「ビルディング 電気なければ ただの箱」

 なのです。

 都会の生活は全てを『ライフ・ライン』に頼りきっています。
 ビルだけではないのです。
 『都市』そのものが「電気なければ『ただの箱』」なのです。

 もし明るいうちに飛行機で
 羽田や伊丹、小牧などの都市空港に行く機会があれば、
 窓から街を眺めてみてください。

 まるでマッチ箱を並べたような街並が見えるはずです。
 河井は時々「焼夷弾を落としたらよく燃えるだろうなぁ」などと
 心の真底から思います。

続く

7.今なぜ『農』なのか (平成九年六月二十日、著)

だから今『農』なのです!

 だから今『イ2・ ショク2・ジュウ2』 のなかでも
一番大切な『食』
つまり『農』なのです。

「衣食足りて礼節を知る。」という言葉がありますが、
少し欲張って最低
『イ2・ショク2・ジュウ2』
さえ自立、
すなわち「自らでアンヨできる」ようになっていれば、

たとえ「お金」がその役割を終えて、紙切れになろうとも
 「自分の好きなことをして生きてゆける」し、

 「『イ2・ ショク2・ジュウ2』
 をエサにされて、
 嫌なことをせざるを得なくなる。」
 という奴隷にならずにすむのです。

 そのための『農』なのです。

 農産物を「お金」に代えるための
 『農業』のことではありません。


今から起こること

 もう一度言います。
 もうすぐニューヨーク・バブルが弾けて
 ニューヨーク株に化けていた
 日本の公的資金も会社の資金もは紙屑になります。
 
 もちろん使える「お金」としては、日本に戻りません。
 当然日本はドツボの不景気にはいり、一気に貧乏になります。

 貧乏になると会社はバタバタとつぶれて失業者があふれます。
 そうなると税金がはいらなくなり、
 ますます国に金はなくなります。

 国に「お金」が無くなるということは、
 皆さんが国に貸している一人あたま五百万円の借金が返ってこなくなるのです。

 そしてさきほど書きましたように、
 日本がほかの国に貸している「お金」は返ってきません。

 取り立て手段をもっていない以上、

 『貸した者』より『借りた者』のほうが強い

 のです。

 返してもらおうと思ったら、
 『貸した者』が頭を下げて
 『借りた者』が言う無理難題を訊かねばならないのです。

 それでもたぶん返してもらえることはないでしょう。

 となると、政府は国民から借りている「お金」を踏み倒すか、
 返しやすいようにして返すしか道はありません。

 たぶん両方を一度に行なうでしょう。

 このひとつが「金融機関の期間限定窓口停止」であり、
 もうひとつが「超インフレ政策」なのです。

借金のツケは超インフレでチャラに。

 さきほどにも申しましたが

 「インフレ」は現物の値打ちが上がり
 「お金」の値打ちがなくなることです。

 「お金」の値打ちがなくなれば、物価も給料も上がることになります。
 今日100円だったものが、一週間後には1000円、一カ月後には10000円になるような
 すごい「インフレ」を「超インフレ」と言います。

 ということは、皆さんの政府への貸し金、
 つまり貯金や預金の実質は、
 一週間後には1/10、一カ月後には1/100になるということです。

 国民一人当たり政府に貸している貸し金500万円は、
 一カ月後には5万円の値打ちしかなくなるということです。

 つまり政府は実質5万円分返せばいいわけです。

 このように物価が上がっていく間に、
 皆さんが預金や貯金を引き出せないようにするのです。

 こうすれば「お金」がなくても借金が返せるのです。
 早い話、借金がチャラになるということです。

 しかし、もしあなたがその時に
 幸いにもまだ失業しないで給料をもらっていたとしましょう。

 確かに給料は額面通りに払ってもらえるかもしれません。
 でもすぐに物を買っておかないと
 次の給料日前には「お金」は紙屑になってしまうのです。

 そして次の給料が物価にスライドして上がったとしても、
 ひと月経つ前に、同じように紙屑になるというのが
 「超インフレ」という状態なのです。

続く

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