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ひろみのマインド・コントロール講座、その8

今回は皆様おなじみの「善vs.悪」「正vs.邪」「良vs.不良」です。

皆さん、これを見て何か「一言」忘れていると思いませんか?
実はこれら総てに抜けているのは「誰にとって」「何にとって」という一言なのです。
誰にとっての「善悪」?何にとっての「正邪」?
非常に巧妙に「価値基準」の物差が省略されています。

そもそも「物事」は「ただ存在する」だけで、それ自体に価値はありません。
「存在するだけの物事」に価値を見出すのは、その「物事」に関わった「人間の心」、つまりは「マインド」そのものであり、これこそが「マインド・コントロール」の正体なのです。

大切ですからもう一度言います。
「物事はただ存在するだけで、それ自体には価値はない。」
この「存在」自体のことを「本質」といいます。

たとえば「刃物」。
「刃物」の本質は、「他者を切る潜在的能力を持っている。」ということにあります。
しかし、「刃物」自体が、自分の意思で他者を切る、なぁんてことはありません。
「刃物」自体はイノセント(無謬)です。
この「刃物」が「善」になるか「悪」になるかは、その刃物に関係する人間の意思ひとつで決まります。

もし使う人間が人の命を救うためにこの「刃物」を使えば、この「刃物」は「善」なる「メス」になります(と言い切れない世相が悲しい!)。
反対に使う人間が人の命を奪うためにこの「刃物」を使うならば、この「刃物」は「悪」なる「ドス」になります。

もしこの「刃物」が刃渡り8cm未満であれば、銃刀法に抵触しないから「正」、刃渡り8cm以上あれば銃刀法に触れるので「邪」。
この場合の価値判断は人間が勝手に決めた「銃刀法」という価値基準であり、「刃物」自体の「本質」とは何の関係もありません。

またこの「刃物」が「とてもよく他者を切る潜在能力がある」ならば、「メス」や「ドス」としては「良」なのですが、テーブル・ナイフとして使うには口や舌を傷つけるので「不良」となります。
これもこの「刃物」を何に使うかという、この「刃物」に関係した人間の勝手な都合による価値であって、この「刃物」の「本質」とは関係ありません。

このように「物事」の「本質」はすべて「無謬」なのです。
この「物事」に関わる人間の価値基準を勝手に「物事」に当てはめて、「これは悪だ」とか「これは正しい」とか「これは不良だ」とか、勝手な「ご都合」だけで判断しているだけです。
これでは物言えぬ自己主張できぬ「物事」があんまりかわいそうだと思いませんか?

たとえば右から見れば「○」、左から見れば「□」、みえる「物」があるとします。
右からだけ見ている人Aは、「この物は絶対に丸い!」と主張して譲らず、左からだけ見ている人Bは「この物は絶対に四角い!」と譲らず、互いの意見の一致はありません。

しかしこの「物」の「本質」は実は「円柱」なのです。
「円柱だ」と判ればAもBも仲良くなることができます。
マインド・コントロールの基本は、この「物事の本質」を隠して判らなくすることなのです。

この「物事」に対する右のAの価値観を仮に「善」と呼び、同じ「物事」に対する左のBの価値観を仮に「悪」と呼ぶことにすると、「物事」の「本質」は「真ん中」(ニュートラル・ポジション)です。

「善vs.悪」「正vs.邪」「良vs.不良」などの一元的価値観による価値のつけ方を「相対(的)二元(論)」と言います。
しかし、これまでくどくくどく説明したように、「物事」は単なる「相対二元」だけではなく、「本質(真ん中)」を挟んだ「二元」、本当は「三元」なのです。

さらに実体は「本質(真ん中)」だけであり、両側の「二元」は、人間の心(観念)が生み出した「虚像」であり、「妄想」と言ってもいい幻です。

「マインド・コントロール」をするなら「物事」の「本質」を隠してしまえばいいし、「マインド・コントロール」から醒めようと思えば「物事」の「本質」を探してみればいいのです。

キーワードは「真ん中」!係り来る「物事」達の「真ん中」を探し見出して、自らをも自分自身の「真ん中(本質=あなたはなにが得意でなにをしてたら嬉しくて楽しい!の?)」に「リ・ポジショニング」すること。
「人の革新」の第一歩です。
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ひろみのマインド・コントロール講座、その7

今回は「愛」です。
「無償の愛」という言葉があります。
これは「禁煙」という張り紙が張ってあれば、そこは必ずタバコを吸う人がたくさんいる、という喩えとまったく同じように、「無償の愛なんぞという言葉がある」という事は、今の(「彼ら」のテーマパークである)この世界システムでは、「有償の愛(対価を求める「哀」)」が一般的であることを暗示しています(笑)

さて「愛」にはふたつの相反するベクトルがあります。
ひとつは「同一化」することを「愛」とする考え方です。
「あなたと一緒になりたい!」「あなた色に染めていいのよ!」「お前は俺のものだ!」「あなたはお母さんの子供だもんね!」
とまあ、いくらでも見つかります。
マイ・コン講座を読んでいただけていれば、これらは総て「依存」の要素でできていることがわかると思います。
この立ち位置は「相手を依存させ、相手に依存する(相手と相互依存する)」立ち位置です。

これに対するベクトルは、「あなたのやりたいこと好きなようにやってごらんなさい。応援するから。」「あなたの苦手なことで私が得意なことはやってあげるよ。」という立ち位置です。
これは、「相手の自立を促する」「相手と相互補完する」立ち位置(ポジショニング)です。

「彼ら」のテーマパークでの一般的な「愛(哀)」は、「相互依存(もたれ合い)」です。
見返りを求める「哀」です。
この「哀」には「I(アイ)」がなくなってしまいます。

対して「相互補完」の「愛」は「無償の愛」です。
見返りを求めない、与えるだけの「愛」です。
自立した「I」と自立した「I」が「逢」した「間」での「相」です。

「愛」は外来語です。
「やまとことば」で「愛」を探すと「いつくしむ」という言葉になります。
「やまとことば」は音(ヒビキ)の言葉です。
「いつくしむ」は「慈しむ」と「厳しむ」の相反する二つの漢字を当てることができます。
さらに「いつくしむ」は「い」+「つくす」+「しむ」です。
「あ・い・う・え・お」は「強調語」としての意味です。
「つくす」は「尽くす」です。
「しむ」は現代語では「させる」ですね。
だから「いつくしむ」は「どぉんと使ってしまわせる」ってことですね。
「慈しむ」の場合は「私を」「どぉんと使ってしまわせる」ことで、「惜しみなく与えること」です。
「厳しむ」の場合は「あなたを」「どぉんと使ってしまわせる」ことで、「黙って手出しをせず、ハラハラドキドキで見守る」ことです。
「慈しむ」だけでもダメ、「厳しむ」だけでもダメ、ともに合わせた「いつくしむ」は「相手を自立させる」ヒビキです。

「彼ら」のルールから脱洗脳を試みるには「いつくしむ」ことが必要なのです。
「いつくしむ」は「I」をはぐくみ育てることです。
そして「人の革新」は「I」と「I」の相互補完関係から広がっていくのです。

ひろみのマインド・コントロール講座、その6

「怒り」と「悲しみ」について書きましたから、ついでに「腹が立つ」もやっておきましょう。

「怒り」と「腹が立つ」は違います。
「怒り」が「依存対象」の喪失にともなう感情であれば、「腹が立つ」は「期待が裏切られた」ときに生じる感情です。

だから、AさんをBさんに対して「腹を立てさせよう」と思ったら、AさんがBさんに「多分こうしてくれるだろうな」と(何の根拠もない)期待を抱かせることが先決になります。

ま、Aさんが「Bさんはこんな人だ。」と思い込むことは勝手なのですが、現実にBさんがそんな人である、なぁんていうことなど、そうそうあることではありません。

だぁからAさんは「所詮はAさんの発想できる範囲」の中でしか、Bさんを測ることはできないのですが、「自分は普通の常識の持ち主だ」と(勝手に)思っているAさんは、Bさんも「自分の想定内の思考言動行動をする」と思い込んでいて、それは修正不可能なのです。

修正不可能な思考のことを「妄想」と呼びます。

この「妄想」が否定された時に、Aさんは(自分の思考キャパの狭さを棚に上げて)、Bさんに対して「腹を立てる」のです。
しかし、BさんはAさんとは違う人格なのですから、Bさんが「いかに思考言動行動しようと」、それはBさんの自由なのであって、BさんはAさんの「妄想」に付き合う義理などまったくありません。

それにも気がつかず、もしAさんがBさんの「思考言動行動」を制限しようと考えれば、それはBさんの「尊厳」を損なうことなのです。

他人の「尊厳」を損なうことこそ最大の罪悪なのですが、「腹を立てる」ことが、その最初の一歩だということに皆さんなかなか気がつかないようです(笑)

はい、そこで「腹を立てている」あなた!あなたのことよ(笑)
事の多少の違いはあれ、「彼ら」とあなたは「他人の自由な思考言動行動(=尊厳)」を犯しているという思考ベクトルにおいて、同じルールでプレイしているという同類なんですよぉ!
ま、「彼ら」の方がすっとずっと思考のキャパが大きいんだけどね(笑)

ひろみのマインド・コントロール講座、その5

さて、「依存」と「不安」の関係はわかっていただけたと思います。
では、今回は「怒る」という感情について。

「彼ら」のやり口は、他人を「怒らせて」、その思考の選択肢を奪うことです。

では人間はどういう時に「怒る」のか?

端的に言って、人間は「依存」を揺るがして自分を「不安」にさせた対象がはっきりしている時に、その対象に対して「怒り」ます。

いくら「依存」が揺るがされて「不安」になっても、その「依存」を揺るがした対象が特定しにくい場合や、その対象にとてもかなわない、という時には「怒り」ません。
ただ「悲しむ」だけです。
「悲しい」は「依存対象」を失った時に生じる感情を言います。

たとえば、大切な人を、強盗犯に刺し殺されたら、通常あなたは「怒り」ますよね?
しかし、同じ大切な人を、地震で亡くしたら、「悲しい」だけで「怒り」ません。
また、同じ大切な人が暴動に参加していて、暴動が終わったら倒れて死体になっていた、ときも、たぶん「怒らず」、ただ「悲しく」て泣き崩れるだけでしょう。

逆に「依存」していない対象をいくら喪失したところで、あなたは「怒り」もせず、「悲しみ」もしません。
ソマリアで誰が何人死のうとも、日本でも見知らぬ人が殺されようとも、あなたは「お気の毒ねぇ」と笑って、何事もなく日常に戻ってゆくでしょう?

だからあなたが、ある対象Aさんを「怒らせ」ようとしたら、Aさんの「依存対象」を奪い取ってしまえばよろしい。
いや、奪い取られるんじゃないか?、とAさんが誤解するだけでいいのです。
そして、その実行犯がBさんである、とAさんが思えば、AさんはBさんに対し「怒り」ます。
Aさんは「怒った」瞬間に、多様な選択肢を一気に失い、選択肢が狭められてしまいます。

あとは、あなたがAさんの思い(妄想)を励起し助長してやれば、Aさんはあなたの思いのまま。

ね、簡単でしょ?

ひろみのマインド・コントロール講座、その4

対象の「依存」を揺す振ってやれば、対象は「不安」になり、「不安を解消する」べく思考言動行動を始める、ということはわかりましたね?

「不安解消するための思考言動行動」には、大きく分けて二つの方向があります。

1、今回の「不安」の基になっている「依存対象に対しての依存」を解消する方向。

2、表面的な「不安」だけしか見ようとせず、さらに「依存関係」を強化する方向。

この二つはまったく反対のベクトルですね。

簡単に言えば、「依存をやめることによって不安を解消する」のか「依存を強めることによって不安を解消する」のか、あなたはどっち?という問いかけです。

ここで、 「ひろみのマインド・コントロール講座、その1」を思い出してください。
「講座、その1」が、「初めてのひとつめの思考言動行動」と仮定してください。
(非現実ですが、話をシンプルにするための「仮定」です。)

1、の「依存をやめることによって不安を解消する」を選択し、実行すれば、
「依存」をやめる(依存の糸を切る)という、つらく厳しい思考言動行動が必要ですが、その結果には、
何からも束縛も強制もされることのない、自発的な「嬉しい楽しい」自由意志が待っています。

2、の「依存を強めることによって不安を解消する」を選択し、実行すれば、
(たいがい代価を払って)「依存対象」との「依存」関係を強化したり、他の新しい「依存対象」と「依存関係」を結ぶことによって、そのときには「偽りの(一時的な)嬉しい楽しい」を簡単に手に入れることができますが、その結果には、
これからずっと「依存対象」が揺らぐことを恐れ(「不安」の種を抱え)、「依存対象」の意向をいつも気にしながら、「依存対象」に束縛され強制される奴隷状態が待っています。

たとえば、「講座、その1」のその時を、「波が荒れる海面に板切れにつかまって漂っている状態。」に例えれば、

1、は、水を飲んで苦しい思いをしながらでもがんばって泳いで、浅瀬にまで泳ぎ着いて両足で立つ、ことをいいます。

2、は、「水に沈んだ方が波の影響から逃れられるよ」といって差し出された酸素ボンベを口にして、海に潜って穏やかな海の中で漂う事です。
あなたは、海面で波に飲まれそうになっていた状態と海中の「安心安全」さを較べて、「あぁ、よかった!」と「嬉しさ楽しさ」に浸ると思います。
しかし酸素ボンベは無限ではありません。
この状態を続けるためには、定期的に酸素ボンベを「依存対象」から提供を受けなければならなくなってしまったのです。
あなたは、
いつも酸素ボンベの残量を気にしながら、
「依存対象」の機嫌を損なわないように気を使いながら、
もし「依存対象」が酸素ボンベをくれなかったらどうしよう?と「不安の種」を抱いたまま、
もし「依存対象」が「いうこと聞かないとボンベあげないよ」って言われたら「はい」って言わざるを得ない状態になってしまったことも、
酸素ボンベを初めてもらったそのときには考えもしないで。

これがマインドコントロールの実技です。
簡単でしょ?

ひろみのマインド・コントロール講座、その3

さて「依存」があるから「不安」が生じる、という関係はなんとなくわかっていただいたと思います。

だからこの「依存と不安の法則」を熟知していれば、対象を振り回すことができるのです。
マインド・コントロールと聞くと、なんか特別なテクニックでは?と思ってしまいがちになるのですが、基本はこれだけです。

対象が何に依存しているか?(=何を大切に思っているか)を知れば、この対象の「依存」対象を危うくする(実際には危うくなくてもいいのです。対象がそう感じればOK)と、対象は必ず「不安」になります。
そしてこの「不安」な状態から逃れたいので、考え(思考)喋り(言動)行動を始めようとします。

つまり、かろうじて安定している状態(様々な依存にバランスした仮の安定状態)を不安定にしてやると、不安定な状態は次の安定状態に落ち着こうとする、という物理法則と同じです。

そて対象が「不安」になったとき、「彼ら」のやり方は「飴と鞭」を提供してきます。
つまり「もし○○すれば今の不安はなくなりますよ」「もし××しなければもっと大変なことになりますよ」。
当然に対象は「お手軽に不安が解消する」選択をします。
この「お手軽な不安解消行動」が成功したら、対象は「安心」もしくは「快楽」を手に入れます。

しかし、その「安心」や「快楽」は「偽りの嬉しい楽しい」なのです。
その1、で書いた「嬉しい楽しい」とは、似て非なるものです。
これを必ず憶えてください。

そして、その「お手軽な選択肢」には新たなさらに強力な「依存」が待っているのです。
そして、対象はどんどんドツボにはまっていって(ゲーム・マスターに「依存」していって)選択肢を次々に取り上げられていくのです。

私たちのマインドは、すでにドツボまではまってしまっているので、考えられる選択肢が(実際にはいくらでもあるのに)考えつかなくなってしまっているのです。

「彼ら」のテーマ・パークのネタは、たったこれだけ!なのです。

しかし、この理論はシンプルなだけにいくらでも応用が可能なので、表面だけ見ていたら全然違うアトラクションのように見えてしまうのです。

ひろみのマインド・コントロール講座、その2

人間の行動原理は
1、嬉しい楽しい、を基にした思考言動行動。
2、不安の解消、を基にした思考言動行動。
のたった二つだけなのです。
これは原理原則ですから、まず何があっても思い出してくださいね。

1、の場合は「嬉しい楽しい」が延々と続いて、これが私たちの目指す新しいテーマ・パークの基本ルールだ、と提案したいと思います。

それでは今、「彼ら」のテーマ・パークで当然になっている
2、不安の解消、を基にした思考言動行動について。
敵を知り己を知れば百選危うからず。

では「彼ら」のお得意の「不安を与えて」不安を解消するための行動に誘い込む、についてもう一段深く。

それでは「不安」とはなんぞや?
「不安」の正体はいかに?

答、「不安」とは「ある依存対象から切り離される時に起こる感情」のことです。

たとえば、大好きで失いたくない彼氏が浮気をしている(笑)
「不安」ですよね。
なぜに?
「大好きな彼氏に捨てられてしまうかもしれない。」
と妄想するからです(笑)

では、全然興味のない男友達に彼女ができたら?
全然「不安」でもなんでもないですよね?
なぜに?

答、あなたが「大切な彼氏」に「依存」しているからです。
男友達には「依存」していないからです。

そう、他人を「不安」にするには、その人の依存対象(はっきりいって、みんな山ほど「依存」してます。)のひとつを揺さぶってやればいいのです。

逆に自分が「不安」を感じた時には、必ず自分の「依存」対象との関係が切れかけています。

「依存」対象とは、人だけではありません。
子供、旦那、旦那の給料、お金、ご近所との人間関係、ガス水道電気下水道などのライフライン、安全や秩序、年金や医療などの社会保障、役所のサービス、国家の安全、火山の噴火、洪水、異常気象、食べ物、飲み物、空気、お日様・・・

いっぱいいっぱいの「依存」対象があります。
そして「依存」対象が多いほど、「依存」の度合いが強いほど、「不安」が大きくなります。

簡単でしょ?

ひろみのマインド・コントロール講座、その1

人間がある行動を起こす時、その理由はたった二つしかありません。
1、嬉しくて楽しくて動く場合。
2、不安を解消するために動く場合。
必ずこの二つしかないのです。
今のあなたの行動はどちらですか?      
          















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